◆私のアナイス アナイス・ニンという生き方 ブログ「言葉美術館」
◾️アナイスの言葉を借りて
またまた迷子で、アナイス・ニンの日記を手に取る。いつもの「インセスト」ではなく、「アナイス・ニンの日記」。これは編集版。アナイスの日記には編集版と無削除版があり、邦訳されているものでは「ヘンリー&ジューン」「インセスト」が無削除版で、私はもちろんそちらのほうを愛するけれど、今夜はアナイスがいまの私と同じ年齢のころのを読みたかった。
アナイスが52歳のときの日記の一部。
「私は自分が犯した罪の何たるかを知っている。ほかの人間たちがただ夢に見ることを、わたしは行動に移した。わたしは夢に従ったのだ。だが、罪の意識からは逃れられない。(略)
誰も私に赦しを与える力はない。
これは人間には耐えられない真実。夢のなかでだけ明らかになる真実だ。(略)母に刃向かう。ライバルを殺す。人の恋人を盗む。すべての恋人を裏切るーー。夢のなかでは。愛を求め、恍惚を求めて、千の女になる、夢の中では。
だがそのうちのひとつでも現実に行えば、罪びととなる。ーー自分の眼にも、世界の眼にも」
……そう、誰も私に赦しを与える力はない。
諦観のなかで不思議と安堵する。
自分の感情をまったく、まったく、コントロールできない夜。涙さえ出てこない夜。こんな夜もやはりアナイスは私に寄り添ってくれる。
からだを傷つけてなんとかなるならそうしたい、と幼稚な願いをもつほどの孤独にさいなまれる夜の過ごし方を、私をまだ知らない。
知っているのは、私は赦しがほしいのではないということ。
じゃあ、何がほしいの、と自問すれば、今夜は、それすらも知らない、と自答する。
同じころのアナイスの日記から。
「どうしてわたしは、断固たる勇気をもって、あらゆる法とタブーの及ぶ領域を越えて生き、私自身になることができなかったのだろう(略)わたしは保護されることを求め、自分にふさわしくない世界に生きている。保護の代償は、人生をもって支払うことになる。因習的な生活によって守られる代わりに、規則や社会体制、合法性やら何やらでがんじがらめになり、自由は完全に失うことになるのだ」
いまの私と同年齢のアナイス。あなたと話したくてたまらない。