■■44歳のアナイス■■
2018/06/15
私のブログのアドレスを見て、「あ、アナイス……」と言うひとはほとんどいない。
中田耕治先生の文学講座に出席なさっている方々くらいだった、反応してくれたのは。
あのときは驚きと嬉しさがあった。新しい世界に身を置いているのだと感じた。
そろそろアナイスの人生と自分自身の人生を重ねることから卒業したいとも思うのだけれど。
先日、知人とアナイスの話をした。
愛の遍歴で知られるアナイス、彼女は74歳で亡くなっているが、最後まで彼女は遍歴を続けていたのだろうか、というそんな話だった。
膨大なアナイスの日記、翻訳されているのはごくわずかでアナイス30代後半までしか詳細はわからない。
けれど、訳者の杉崎和子氏の「解説」によると、「1974年、ニンはその後の彼女の生涯を大きく変えることになるひとりの青年に出会った」とある。
16歳年下のルーパート・ポール。以後、30年間、彼と人生を共にする。
夫ヒューゴーとも別れないままに。
数か月ごとにルーパートのいるカリフォルニアと夫のいるニューヨークを往復する生活だった。
ニューヨークにいるときは、アナイスはルーパートのところに毎日午後4時に、必ず電話を入れた。
携帯も留守電もない時代。ルーパートは必ず家にいて、アナイスからの電話をとった。
最後の一年、末期癌に苦しむアナイスが最後の闘病生活を送ったのは、ルーパートのところだった。
ルーパートはアナイスの介護を一手に引き受け、臨終に立ち会った。
アナイスの死後、「私を海に戻して欲しい」という彼女の遺言を守り、小型飛行機をチャーターし、遺灰をサンタモニカ沖の海に散らしたのもルーパートだった。
カリフォルニアとニューヨークの二重生活を続けるアナイス、40代の半ばから亡くなるまで、恋の相手が他にいなかったはずはない。
けれどルーパートに勝る相手はいなかった。ある意味で、アナイスとルーパートの愛は永遠だった。
いろいろな愛のかたちがある。
アナイスを悩ましていた虚弱体質、精神の乱れ。それらは人生の後半、どのようになったのだろうか。知りたいとつよく思う。
アナイスがルーパートに出逢ったのは44歳のときだった。