ブログ「言葉美術館」

■■さびしい、について■■

2016/06/28

101116_211402_2_2このスケジュールだときっと、そうなるだろうな。と思っていたらやっぱり臥せってしまった。

日曜日から3日間ベッドで過ごしている。

ぜんぜん力が入らなくて、風邪までウエルカム。

普通の風邪薬は飲めない状態だそうで、処方された薬の説明を読むと「老人や虚弱な方の……」とあり、それだけでがくーっと落ち込む。

血圧を測った先生の「よくここまでひとりで来られたね」という言葉にじわりと涙が浮かぶ。

そうとう弱っているなあ、と客観。

甘えついでに言ってしまう。

「先生、わたし、……入院したい……」。

先生はひたすら優しい。 「あなたは本当に自分に甘いんだから」とか「不健康な女は嫌いだ」とか「いつになったら自己管理ができるようになるんですか」とはけっして言わない。

「そうだね、その一歩手前だから、今日は絶対安静よ。なんとか気をつけて運転して帰ってすぐに横になってね」。

家に戻るとポストに郵便物がたまっていて、そのなかに「家事代行サービス」のチラシが。

このてのものに、これほどひきつけられたことはない。

電話に手がのびる。けれどやっぱりだめ。他人が家のなかに入るストレスのほうが私にはきつい。

原稿のことが気になるけれど、ここまでダウンすると諦めが圧勝。

それでもベッドのなかで資料を読んでしまうけれど。

ところで。

仕事を諦めている私には、なにか隙があるらしい。

隙というとマイナスの意味になるかな、余裕、あるいは許容。

私のことを心配しながらも娘がなんだか嬉しそうにベッドに来る。

そして色々な話をしてくれる。

そうかー、さいきん忙しくて、こういう「どうでもいい話」をしていなかったな、と思う。

連絡事項などではなく、「どうでもいい話」のなかに、あたたかないのちがあるというのに、忘れていた。

その話の流れで娘が懐かしい質問をし始めた。

さいきん、これ、していなかったでしょ、と言って。

「この一週間で一番嬉しかったことは?」 「一番悲しかったことは?」

「一番怒ったことは?」

聞かれるたびに、いくつかのイメージがさっと浮かぶ。

すべてを正直には言えない。

たまに二番目を答えている。

最後に、

「一番淋しかったことは?」

と訊ねられて、考えこんでしまった。

さびしい。寂しい。淋しい

私はそのときの理由によって三つの表現を使い分けているのだけれど、この形容詞は「悲しい」「嬉しい」などとは違って、嬉しかったこと、悲しかったこと、といった使い方は似合わないように思った。

なんというか、それはたとえば「美しい」に似ている。そういう感覚。

辞書をひいてみる。30年近く愛用している「新明解国語辞典」。

さびしい

①自分と心の通いあうものがなくて満足できない状態だ。

②社会から隔絶されたような状態で、心細くなる感じだ。

③あればいいと思うものがなくて、満ち足りない感じだ。

たいてい私は③の意味で「さびしい」を使っている。

結局、質問した娘には

「さびしいって、とてもデリケートな言葉だと思う。淋しかったこと、ってないような気がする。あなたが淋しいと感じるのはこころがどのような状態のときですか、って聞かれたら、こたえられるようにも思うけど」

と話した。

けれど、ベッドにいると②の意味も加わってくる。

こうやって臥せっている日々は、もちろん嫌だしつらいのだけど、普段は見えないものがたくさん見えてきてノートにそれらを書きとめている。

……うん。私のような職業のものには、悪くないことなのかもしれない、と自分を慰めながら今日一日を過ごすことにしよう。

あなたが淋しいと感じるのはこころがどのような状態のときですか?

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