■■それぞれのサガン、共感するヒロインは■■
2016/06/28
『サガンという生き方』を出版したことによる、出版前には想像しなかった喜びのひとつは、サガンの小説について語ることができるひとたちを発見できたことだ。
30代40代の女性たちで、それぞれの思い入れがあり、それについて語る彼女たちは、それぞれの思い出を大切に抱えていてとても美しい。
「路子さんは、特にどれが好きですか?」
という質問も当然受ける。
エッセイは除き小説だけに限っていえば、『心の青あざ』『熱い恋』『ある微笑』『ブラームスはお好き』『愛は束縛』『一年ののち』……、だめ、ほとんどになってしまう。
もっとも自分自身と重ねて読めたのは、はじめて読んだときの年齢も影響しているけれど、『ある微笑』のドミニックと『熱い恋』のリュシール。
とくにいまはリュシールに共感する。
『サガンという生き方』では、『熱い恋』の次の部分を引用した。
「あなたは相変わらずいつものように黒い髪と灰色の眼をしていますね。とても美しい……」
リュシールは、人が自分の髪や眼の色について、容姿についてすらもしゃべるのをもう長いあいだ聞かなかったことに気づいた。
「気づいた」。
それからどうするかで人生の色彩が決定する。
それぞれの色に染まる。
一度しかない、しかも短いかもしれない人生。
サガンがいうように「幸福なときが正しくて不幸なときは間違っている」のであるならば、できるかぎり正しいところと近いところにいたい。
ところがかなしいことに、ひとは、ときどき、自分が不幸な状態であることに気づかない。認めない。許さない。
それは愚かさのせいではなく、自己防衛本能のせい。
リュシールは、「自分自身を偽る」ことをしながら生きることができない女性だった。彼女は他の多くの女性たちがしない選択をする。
外は雨。雪ではなく。変に気温が高い金曜日。今週は一度もメイクをしなかった。久しぶりにきれいになりたい気分。