■サガンの「ある微笑」■
2016/06/27
サガンは慎み深く、愛の行為は好きだけれども、それについて露骨にしゃべることはもちろん、書くことも嫌った。
けれど『ある微笑』を読み返していて、この小説にはたくさんの肉体の愛についての描写があることに、あらためて感じ入った。
ヒロインは大学生のドミニック。
たとえば同年代の恋人ベルトランとのことについて。
「わたしはかれの香りをかいだ、わたしはそれをよく知っていた、そしてそれはわたしを感動させた。ベルトランはわたしの最初の情人(アマン)だった。わたしはかれの上で、自分自身のからだの香りを知った。いつも他の人たちのからだの上で、自己のからだを発見するものだ」
たとえば恋におちたリュックとのキスの場面。長い描写のなかから少しだけとりだしてみると。
「わたしの顔をあげているこの手、この熱く、優しい唇、わたしの唇によくあった唇。かれはキスしている間、両手でわたしの両ほほを激しくしめつけた。わたしは両腕をかれの首に巻きつけた。わたしは自分がこわかった。かれがこわかった。その瞬間でないすべてのものがこわかった」
たとえばリュックとの肉体の愛について。
「かれはまたわたしに自分の肉体をも発見させてくれた、かれは変な意味にではなく、興味をもってわたしの肉体について話した。あたかも貴重なものの話をするように」
こういった書き方、表現。
その前の部分の「その瞬間でないすべてのものがこわかった」という表現をふくめて読者の経験値にゆだねる文章。
これはある意味、自分の読者に対する信頼であり、裏から見ればそうでない人たちを突き放しているのだけれど私は好き。
この恋物語は倦怠の色彩のなかでしずかに展開してゆく。けれど物語に自分自身を引っ張ってのめりこんでみれば、そこには人と人との出逢いについての熱い想いが息づいている。
決定的な人に出逢わなければ、そこそこの幸せのなかで憩いでいられた。けれど出逢ってしまったなら、もうそこで憩うことはできない。リュックと一緒にいることで、ドミニックは知ったに違いない。
いままで自分がどれほどさびしさのなかで独りもがいていたのか、どれほど熱情を欲していたのか、
ドミニックというひとりの女はリュックというひとりの男に出逢うために創られたのだと、「私はずっとあなたに逢いたかった!」のだと、知ったに違いない。
これが読書の喜びのひとつ。
何度も読んだ小説なのに倦怠の色彩のなかにヒロインの叫び声が聞こえたのは今回がはじめてだった。
軽井沢の朝はマイナス10度。空は白濁し細い枝が身動きもしない凍てついた朝。