■好きなものを好きだと言う■
2018/01/22
さいきん読書に埋没できない。ほかのことをすぐに考えてしまって集中できない。
こういうときは長編小説はだめだから、ベッドサイドにいつもある安吾の本を手に取る。
全集14。さまざまなエッセイが収録されている。読む度に、なにかしらに出会える。
昨夜は「続堕落論」を何度も読み返した。
たちどまった箇所は「人間の、また人性の正しい姿とは何ぞや?」から始まる一文。
「欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。
好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物ををぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一の条件だ」
「欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ」
という安吾の言葉に、「それはそうなんだけど……」と、「好きなものを好きだという」に、「そう言えたらいいのにね」と、言うようなひとにはなりたくないと思っていた。
このことを思い出した。いいえ、思い出したというやわらかなかんじではなく、「あなた、そうだったでしょ」といったかんじで胸に突き刺さってきた。
絶望に似た空気がどっと天井からおりてきたみたいだった。
いつのまにか、がんじがらめになっているのかもしれない。 自分自身でつくりあげた目に見えない綿あめみたいなものにまかれてしまっているのかもしれない。
それはやわらかくてすこしずつまきあげてゆくから、まいている実感もまかれている感覚もない、気づけばそのなかにすっかりとらわれて、もう抜け出られなくなっている。
嫌だ。
安吾の言うように赤裸々な心になって、自分自身の赤裸々な姿を突きとめ見つめないと、いま、それをやらないと絶望の度合いはおそらく深まるばかり。
でもこれってかなりしんどい作業。そんなことをしないでも楽しく生きてゆける方法があったら知りたい。
早朝の軽井沢は氷点下13度。
庭は雪に覆われて、風がつよくて木々の枝がゆれている。
とても冷たそう。
こんなにひとはだ恋しくなっても許されそうなほどに冷たそう。