ブログ「言葉美術館」

■■死よりも強い愛■■

2016/06/28

110129_1625012007年に執筆をさせていただいた「ヨーロッパ三都物語」(別冊歴史読本)が文庫化されるそうで、原稿の確認をする必要があった。

間違いなどがあったら直したいと思うから、じっくり4年前の文章と向き合った。

つい行間に漂う自分自身の想いを探してしまう。

私は「ペール・ラシェーズ墓地」でジャンヌとモディリアーニを、

「モンマルトル」でパスキンを、

「モンパルナス」でキキを書いた。

私をよく知っている人にはおなじみの場所、おなじみの人たち。

今回はジャンヌとモディリアーニについての文章で、自分が書いた(けれど忘れていた)「死よりも強い愛」という言葉にたちどまった。

私はふたりの物語をこの言葉をテーマに書いていた。

幼い一人娘と、おなかの臨月間近の子どもがあるにもかかわらず、モディリアーニのあとを追って窓から身を投げたジャンヌについて、この言葉をテーマに書いていた。もとはジャンヌの両親が娘の死後数年して言った言葉だ。

その愛は本当に死よりも強いものだった」。

私は20代の後半にひとりでペール・ラシェーズ墓地を訪れ、モディリアーニとジャンヌが共に眠るお墓の上に白い花を置いて、いろいろなことを考えた。

そのことも書いている。そのうえで、次のように言っている。

*** 

ジャンヌにとってモディリアーニは、まさに「すべて」だった。他に言いようがない。すべてだったのだ。

 

だから「その瞬間」、一人娘の存在も、お腹の中の子の存在も、ジャンヌを引き止める重さを持たなかった。

***

いっしょうけんめい想像してジャンヌに寄り添って導きだした、そのときの私なりのひとつの答えだ。

いまでも同じように言うだろう。

けれどあれからときが経ち、「死よりも強い愛」、あるいは「まさにすべてだった、他に言いようがない。すべてだったのだ」に対する重みはぜんぜん違う。

もちろん比較にならないほどにずっしりと重い。

モディリアーニが、そして二日後にジャンヌが死に赴いたとき、運命の出逢いからわずか三年しか経っていなかった。

愛にまつわる色々なことがらは実年数ではない、物理的な時間ではないのだとあらためて思う。

ふたりのこの三年間の愛の密度を考えたとき、その集中の壮絶さを考えたとき、何年つきあったとか何十年一緒に暮らしたとか、そういう物の見方がまったくばかげて見えてくる。

こういう仕事がちょっと入ると、ずっとひとつのテーマにしぼって執筆している頭のなかがすこし揺れて、揺れる前は揺れることを欲していないのに、結果としてよい刺激になっている。

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