■自分の胸は焼けただれる■
2016/06/28
3月3日から何も書いていない。
だから何人かの、心やさしいひとたちから安否を問うメールをいただく。
3月11日、そのとき、私は福井県にいた。
講演会のためで、軽井沢から5時間かけて福井駅に着き、講演会に呼んでくださった方と打ち合わせをしたのち、ホテルの部屋でひとりぼんやりして、それからバスルームでメイクを直していた。そのときに揺れを感じた。
しばらくしてのち、テレビ、メール等で大変なことが起こったのだと知ったけれど、講演会は行われ、私はこころをざわつかせながらも、精一杯、なんとかお話をさせていただいた。
そしてその夜、ひとりホテルの部屋で、不安な夜を過ごした。
もともと人生が大きく変化していて、しばしば言葉を失うことがあり、
そこに天災に引き続いての人災があり、
惨憺たる光景がひろがり、
悪夢のような不安にさらされて、
そんななかでいろんなひとたちがいろんな発言をしていて、
たいていはもっともらしく、嘔吐しそうで、
それでも私は言葉が身体の外にでることなく、
自分の裡でうごめいているだけで、
自分自身の精神と肉体の脆弱さに、
今回はさすがに酔うこともできずに、
ほとんど諦めながら、それでもひとすじの希望を見失わないように、
必死に目を見開いて、毎日、生き続けている。
そんななか、敬愛する作家中田耕治のブログは胸に響いた。(3月16日、22日の記事)
たとえば、陶淵明の詩が紹介されていて、そこにある解釈。
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「昔から、生きとし生けるもの、すべては滅び去ってゆく。そういうことを思えば、自分の胸は焼けただれる。」
詩人の思いは、私たちにも親しいだろう。
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ここを読んだとき、なみだがどっとあふれた。