◎Tango ブログ「言葉美術館」

■私のブエノスアイレス*13■

2018/11/20

 6日目。明日は帰国の日というブエノスアイレス最後の一日。

 朝。

 ラ・ファン・ダリエンソのライブからホテルに戻り、真紅のワンピースのままベッドにもぐりこんでしまったので、ワンピースはくしゃくしゃ、そして私もくしゃくしゃだった。

 お友だちに言った。今日はお休みしますと先生に伝えて。残念だけど、いいの。得るものは得たという確信があるから。

 そう言った、あの朝のことはなぜかくっきりと覚えている。

 いちいち、理由づけをする。得たものは得たという確信があるから、なんてえらそうに。

 でも、あのとき、そう思って、そう言葉にしたんだもの。なんらかの真実はあるはず。

 もともと、5日間連続のレッスン、全部に参加できるとは考えていなかった。もちろん、できるだけ頑張ろうとは思ってはいたけれど。

 あの朝、たしかに身体が動かなかった。そして、その状態でなんとかして、レッスンに行こうという意志もまた、なかった。

 レッスンに行きたくなかったのだと思う。それだけのこと。そして最終日を休んだという事実が、私のタンゴに対するなにか、想いというか、姿勢というか、それを物語っている、といまは思う。

 ある側面から見れば、しょせん、そこまでのもの、ということ。

 ある側面から言えば、私は私のペースでそれをしたい。それで何かが失われたり、得られなかったりしたなら、それはそれでかまわない。なにより大切なのは他人からの評価ではなく、自分がどう感じるかということなのだから。そういうこと。

 最後の一日。

 夜はブエノス最後のミロンガ。「La Viruta Tango Clubラ・ヴィルータ」でOrquesta Tipica Misteriosa(ミステリオサ)のライブがある。

 今日で最後。

 ……最後って単語がすでにいっぱい。

***

 さてさて。

 その日、私には行きたいところがあった。

 ブエノスアイレス最古のカフェ、「Cafe Tortoni カフェ・トルトーニ」。

 一時期、パリのカフェ文化を研究していたから、今回は観光に興味がないの、と言いつつも、ここくらいは訪れたかった。観光客でいつもいっぱいだとしても、その場に身を置いてみたかった。

 前日にお友だち3人と、「私、トルトーニには行きたいの。体力次第だわ。明日レッスンのあと行けたらいいね」とゆるやかな約束をしていた。

 レッスン終了後、お友だちがホテルまで私を迎えに来てくれることになっていた。「体調次第。無理だったら寝てる、大丈夫そうだったら支度してロビーでお待ちしてます」という、ひじょうにわがままな状況をお友だち3人は、あたたかく受け入れてくれていた……、と思いたい。

 

(*彼らを待っていたときに撮ったホテルのロビー) 

 

 そして私は支度をして、ホテルのロビーで彼らを待ち、タクシーでトルトーニへ。

 「Cafe Tortoni カフェ・トルトーニ」。

 1858年創業。フランス移民によって作られて、さまざまな文化人たちが集ったという。いまは、夜は地下でタンゴショーがあったりして、観光客に大人気のスポットみたい。

 

 

 いったいどのくらいの時間を過ごしたのか。3時間以上は余裕でいたような。

 だって、話題が尽きないんだもん。

 男子ふたりは妬けるほどに仲良しで、ひとりはアメリカからの合流だから彼らは久々の再会で、共通の話題で盛り上がっているし、それを聞いているのも楽しいし、4人とも同じ体験をしているから、それまでのミロンガのこと、バンドのこと、レッスンのこと、タンゴそのものといったテーマでも、次から次へと会話の連鎖がとまらない。

 アメリカからのお友だちのパートナー、彼女は変わらず明るく朗らかで、夫婦でもありタンゴのパートナーでもある彼らの様子を見ているのも楽しかった。

 とっても幸せ、ってニコニコしている人を見ると、私は、こころがふわん、とあたたかくなる。

 ここだけは性格悪くないと思うのだけど、どうかな。

 私のテーマのひとつに「カップルの組み合わせ」というのもあって、主にアーティスト中心の研究なのだけど、同じ人間でも、誰と一緒にいるかによって、その性質までもが変わってくるということが興味深い。もちろん根本のところは変わらないんだけど、その人といると圧倒的にこの色彩が多くなる、といった現象はたしかにある。

 私の場合は、相手によって変わりすぎるのかもしれないけど。

 ある人とは喧嘩ばかりしてたけど、ある人とはぜんぜんしなかったし。

 ある人は私のことを「暗い、神経質、いつも泣いている」と言うだろうし、ある人は「わりと明るい、わりと怠慢、よく笑う」と言うだろうし。

 

 いま書いてて思ったけど、これまたタンゴに通ずるかもしれない。

 誰と踊るかで、まったく違った踊りになる、ということ。

……うーん……(考え中)。

 

 

 タンゴとの関連性については、けっこう長い間(考え中)したのに、まだよくわからないけれど、一度きりの人生、誰と時を多く過ごすか。これはとーっても重要なこと、これは強く思う。

 自分が好きな色彩をまとっていられるかどうか。

 これが重要でないはずはない。

 だから、他者からの働きかけではなく、自分の意志で幸せを追い求める人は、この色彩は好きじゃないなあ、と気づき始めたとき、別の環境、相手を求める。

 そんなふうに思うな。

***

 トルトーニは、私にとっては休息の時間、といったかんじだった。

 すこしだけ余裕というものがあったから、店内の写真なんかも撮ったりできた。

 

 

 一時期は大好きだったパリに対しても、このところは熱が冷めてきて、2年前に久しぶりにパリを訪れたとき、決定的に冷めたことを実感したのに、不思議ね。トルトーニは、やはり、あのパリのカフェの香りがして、居心地がよかった。

 何種類をみんなでシェアしてとった遅めのランチ、キッシュみたいな、パイみたいのとか、あと何だったけな、よく覚えていないけれど、「はじめておいしく食事ができたような気がする」と喜んだのを覚えている。

 そして男子2名が「これならボトルで頼んだほうがよかった」というほど赤ワインをがぶがぶ飲んでいたこともよく覚えている。

 

 

 トルトーニを出たときには、昼から夜へ、街が変わっていた。

 ホテルに戻って、着替えて、ブエノス最後のミロンガ、「La Viruta Tango Club ラ・ヴィルータ」へむかった。

 この最後の夜も濃厚だった。

 メモには「もう感情の洪水はとまらない」とある。

(<14>につづく)

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