◆私のアナイス アナイス・ニンという生き方 ブログ「言葉美術館」

■幸福の真ん中に居座る不安■

 

 たぶん、体調がよくない。ここのところずっとそうだ。頭の真ん中に重い鉛があるみたいで、身体もそんなかんじ。

 けれど思えば、あるシーズン、ずっとこんなだったのだから、ここ一年くらいが体調がよすぎたのだと思うことにする。

 寝込むほどじゃないんだし。

 それにしても。

 自ら選択した事柄に追われている。次の本の執筆の準備。資料が圧倒的に足らない。優しいお友だちが力を貸してくれているけれど、いつまでもどこまで甘えるわけにはいかない。お友だちにはお友だちの生活がある。

 資料が足りないなら、資料が充分にあるものについて書くべきではないか、とも思う。自分がいま取りかかろうとしていることは間違っていることではないのか、と。

 それに加えて、語りとピアノのコンサートの準備。再開することにした路子サロンの準備。新しく始めたインスタグラム。そして、ようやく書き始めた物語の執筆。時間が足りない。体力が足りない。

 今年はもう少し余裕のある生活をしたかったのだけれど。

 すべて、自分自身で招いていること。自分の力量以上のものをしようとしている。愚かなことだ。

 昨日は、実家に帰って、母の「終活」とやらの手伝いをしてきた。アルバムの整理をしたいの。そのまま捨てることなんて到底できないから、必要なものだけを抜き取ってもって行って欲しいの。そうすればあとは捨てられるから。膨大なアルバム。私は長女だから枚数が多い。聖路加病院で誕生したときから娘が生まれるころのまでが丁寧にスクラップされている。

 数時間かけて、私は自分自身の成長の記録、みたいなものと直面した。

 帰りの電車で、生きるってなんだろう、人生ってなんだろう、ってそんなことがぐるぐると頭をめぐって、胸がざわざわとあわだった。

 そして夜がきた。睡眠時間が足りていないし、長時間の移動で疲労しているはずなのに眠れない。頭の芯がビリビリしていて眠れない。

 ひとりきりのシングルベッドが果てしなく広く感じる。

 夢をたくさん見た。嫌な、そして具体的な夢ばかりだった。そこで私は自分の言いたいことを言い、思いきり嫌な女になっていた。泣きながら目を覚ましてうんざりした。もうこういうのは嫌なんだよ、って思って、また涙が出てきた。

 そしていままた夜が来て、ざわざわ感が増してきて、アナイス・ニンにすがる。

 今夜はこの言葉がしみた。

「私の幸福の真ん中には不安が居座る」

 

 これは、当時の恋人ヘンリー・ミラーとの関係を書いた箇所で、ヘンリーと6時間ともに仕事をしたあとの日記。

「不思議に、柔軟で、影響されやすく、女性的なヘンリーの知性。

 天才は繊細。天才は油断のならない芯を持っている。

 それは心得ていた。

 私の幸福の真ん中には不安が居座る。

 彼の冷酷さは、避けられないものという不安がある」

 

 そう。

 私が人生で本気で愛してきた人は、天才ばかりだった。天才というのは、この人は天才だ、と思う人間がいれば、天才なのだ。たったひとりの人間でも、この人は天才、と思う人間がいれば。そういう意味で、私が愛してきた人たちは天才ばかりだった。

 だからアナイスの不安がよくわかる。

 そしてこう体調が悪いと、不安が肥大化する。

 すべては私の欲深さが招いていることのような気がする。

 欲深くてずるくて愛が多すぎる。

 もう、いまはそんな自分を楽しむよりも、そんな自分が不安でたまらない。

 あの夜のミロンガで、なぜあんなに泣いてしまったのか、泣きながら踊ってしまったのか、その理由もわからない。

 そう、不安だけではない、このところは、わからないことばかり。

 自分の感情の動きの原因がつかめない。分析しきれない。納得できない。

 最近出したマドンナの本のコピー。

 「好きなように生きる。嫌われる覚悟はある」

 私も。と思うときもあった。でもいまは違う。

 覚悟がない。決定的にない。もっと本音を言えば、他者を傷つける覚悟がない。

 タンゴを踊れば、その時間は、こういったことすべてを忘れられるのかな。

 もうそれすらもわからない。

 ただ、ひとつだけ確かなのは、いま、ようやく動き始めた物語を書いているときは時間を忘れる、ということ。

 そしてこれを書ききれなかったら、私は私を見限るだろう、ということ。

 それだけは嫌だ、ということ。

 ほかがすべてダメでも、これだけは、というものがあれば、私はなんとか矜持をたもてるのだから、自らが作り出した夾雑物に負けることなく、それだけはやり抜いてね、と自分にお願いする深夜。

 写真はプロフィール写真撮影時の、これもオフショット。

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