■ロスと『パピヨン』と「あのときのあなた」と■
2016/06/09
『特に深刻な事情があるわけではないけれど、私にはどうしても逃避が必要なのです』が、中国で出版されるみたい。うれしい。
この本の最後のほうでエリザベス・キューブラー・ロスの自伝『人生は廻る輪のように』を私は紹介している。
ロスは死の概念を変えた魂の名医、と言われていて、強烈な個性をもった人で、その功績もとてつもなく大きいんだけど、『特に深刻な……』出版後、「興味をもってロスの本を読んだらすごく面白い!」という声をわりと多く聞く。
先日も「もう、ほとんどロス教信者です」、なんて言うかわいい女性から「ロスはこんなふうに言っている、あんなふうに言っている」という話を聞いて、再び読んでみようと思った。
ロスの本ではなく、ロスという人にせまった本、田口ランディの『パピヨン』だ。
昨夜から今朝にかけて読んだ。
すごく確執のある父親を看取るというテーマが重なっているから、とても重たいんだけど、以前読んだときよりも、理解……とまではいかなくても、共鳴できることが増えているような気がした。
パピヨンはフランス語で蝶という意味。「蝶」がこの本のシンボルでもあるのだけど、それとは別に気になるキーワードがあって、それは「受容」。受けいれる、ってこと。
キリスト教の世界観と東洋の世界観が、なにか深いところで一緒になっているかんじ。
西も東もなくて結局のところ「人間」をじっと、じっと、目をそらさないでじーっと見つめてゆくと、そこにいく、みたいなかんじなのかな。
ロスの本からの引用もあって、そのなかから胸に響いた箇所を。
「可能な限り悔いる気持ちと和解することに最大限の努力を払っていただきたい。
人生において、願望がすべてかなえられると考えるのは非現実的だ。
おなじように、完璧でありつづけること、後悔しないこともまた悲現実的である。
後悔する自分を許すことだ。
もっとよい選択をしていればよい結果が得られたと考えるのも真実とはいえない。
あのときのあなたは、あなたなりに最善をつくしたのだ」(『永遠の別れ』から)
「やりたいことだけをやる、というのは本当にたいせつです。
そんなことをしたら貧乏になるかもしれない。
車を手放すことになるかもしれない。
狭い家に引っ越さなくてはならないかもしれない。
でもその代わり、全身全霊で生きることができるのです。
世を去るときが近づいたとき、自分の人生を祝福することができるでしょう。
人生の目的を達成したのですから。
そうでないと、娼婦のような人生を送るはめになります。
つまりなにかある理由のために生きる、ほかの人のご機嫌をとるために生きるはめになります。
それでは生きたことにはなりません」(『「死ぬ瞬間」と死後の生』から)
ロスの本も、『パピヨン』も、私は魂レベルで理解してはいない。
けれども読後、こんなふうに思った。
自分が美しいと思わないことをしている自分を受けいれて、そして、自分が進みたい道を、すべての虚飾……誰かが決めた道徳、必要と思いこんでいるモノなど……をとりはらって、見つめること。
もし、そこに何かが見えたなら、そこを歩くこと。できるかぎり身軽になって。