■嫌悪にまみれる■
2016/06/09
スコット・ペックの『愛すること、生きること』、がんばったんだけど、最後まで読めなかった。いま抱えている問題を幼少期の体験にその原因があるとする見方が合わなかったのか、やはり根底にキリスト教の精神がずっしりあることが合わなかったのかはわからないけれど、つらくて、ときに苛ついて、苦しくなって、あるとき、どうしてここまでして読まなくちゃいけないのか? と気づいて、やめた。
以前読んだときには、夢中で読めたのに。
人生は変化しているから、よくあること。
いつかきっとまた別の見方ができるでしょう。
「そんなもんじゃないでしょ」と、ずーっと感じながらの読書だった。
人間ってそんなに強くないし、崇高じゃないし、もっと複雑で、ぐちゃぐちゃしているものでしょう、ってずっと感じていた。
さいきん週末に精神が乱れる。
物書きっていう自由業なはずなのにヘンだ。
土日を「どうか原稿に集中できますように」の日とするのがいけないのか。
平日だってかわらないのに、たぶん、追われているんだな、これ。
ぜんぜん集中できないから『グレン・グールド』の伝記映画を観たりする。
カナダ出身の天才ピアニスト。
彼のCDはよく聴いている。
しかし、しかーし、観たあとに、気が滅入って仕方がない。
天才って何? 芸術って何?
10代のころから注目されて20代で大成功をして、演奏旅行たくさんして、それが嫌になって30代初期にコンサート活動をいっさいやめて、それから20年レコーディングで自分の音楽を追求してゆく。
奇行でも注目された人だけれど、私生活は充実していなかったみたい。
母親危篤の報せにも病院の菌を恐れて行かなかったというのがすべてを物語る。
薬をたくさん飲んで、この時代はその悪影響がそれほど知られていなかったからなんだけど、安定剤、抗うつ剤、睡眠薬をたくさん飲んで、50歳で亡くなった。
ソファから立ち上がれないくらいに気が滅入った。
いま、観ないほうがよかった映画だ。
なにか創作のエナジーが得られるかと思って観たのに、負のスパイラルに陥っているということかな。
はい、時間ができました。はい、机に座ってください。スタート!
で原稿が書き出せるなら、私にだって時間はある。
でもそうじゃないから、時間はいくらあっても足りない。
いつも祈るように机に向かう。どうか、どうか、集中できますように。
それがときに成功し、よく失敗する。
一本の電話、宅配便ですべてが崩れるときもある。情けない話だが。
書いている物語世界の中と現実との間で引き裂かれるようなあの感覚は最悪。
でも自分で選んでしていることだから、すべて。
負のスパイラル真っ只中では、感情のコントロールがうまくできなくなる。
激情に走るか、あるいは不感症になるか、極端なことしかできない。
そして、その結果、ひどい自己嫌悪にまみれる。
それでもいつまでもベッドにもぐりこんでいては生きてゆけない。
自分はそれほどひどくない、と思わなければ生きてゆけない。
だから誰も言ってくれないときには鏡を見ながらつぶやいたりして、笑いかけたりまでする不気味な女になる。