■問題を知的に理解する■
2016/05/22
自分が「問題」を抱えていて、けれど、それを認めたくないし、ハウツー本は嫌いだし、ましてや精神分析的に、いまの自分の状況を分析してどこかに分類されたくないし。
だから自然のなりゆきに身を委ねる。
問題があることから離れられないまま、「そのため」に観たわけではない映画や、「そのため」に読んだわけではない本から、何かを得られるのではないかとどこかで期待している。
ところが、あるときに問題が目の前にたちふさがる。
自分の涙だったり、どうしようもない言い争いだったり、嘔吐だったり、そうして「もはやこれまで」と思う。
そして、じっくりと、自分の問題と向かい合ってみようと、降参の涙のなか、「そのため」の本を探す。
それは問題を抱えてかなり悩んで苦しんでいる自分を認めたということ。
観念してその本を熟読する。
本の名前は差しさわりがあってあげられない。斉藤環さんという精神科医の書いた本だ。ネットのではなく、書店で実際に本を手にとって選んだ本がたいていそうであるように、この本も買って正解だった。
私は教えてもらうときには一度従順になることにしているから、今回もひねた視線をポケットにしまって(というより弱っているからあぶないくらい素直)、本を熟読した。
私が求めていたことがそこにあった。実り多い本だった。具体的なことは書けないけれど、ラストに、本を書く人間として、すごく共感した部分があった。
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この本にいくばくかの「実用性」がありうるとすれば、それは何よりも当事者が問題の所在を知的に理解することを助けることにあります。関係性がはらむ問題を考える場合、理解がそのまま希望につながることが少なくないからです。
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ここで、ほんとうにこの本を読んでよかったと思ったのでした。
「当事者が問題の所在を知的に理解することを助ける」という、これこそが私が求めていたものだったように思って、昨夜は自分が抱えている問題についての、自分なりの答えを、たよりないものではあるけれど、導き出せた。
人は誰しも問題を抱えていて、その問題を認めるまでがまず、つらくて、その次にその問題と向き合うまでがつらくて、でも、そこを超えれば、超える前とは違う景色が見える。
問題の所在を知的に理解しろ。
これが昨夜私が得た教訓。
写真はかわいい女の子からいただいたチョコレート。見つけた瞬間、どうしても路子さんにあげなくちゃ、と思って。なんて言ってくれて、嬉しかった。