■魅力に結局悩まされる■
気楽に眺めてるかんじでときおり観るアメリカのテレビドラマ「キャッスルーーミステリー作家のNY事件簿」。これは、売れっ子ミステリー作家が主人公というところに、羨ましさをかんじて観始めた。おすすめしたい、ってほどではない。
ただ、あるとき、響くセリフがあって書き留めたから、忘れないうちに、ここに記しておこうと思う。
刑事である女性の言葉。彼女の恋人は、お医者さん。彼女自身、ニューヨーク市警の刑事だから私的な時間なんてあってないような生活をしているわけだけど、彼も同じ。
それについて友人に話す。
「彼の偉大な活動に惹かれたの。情熱とか使命感とか。でも、魅力を感じていた部分に結局悩まされる。いまはただ、私のためにいてくれるひとと一緒にいたい。そしたらのめりこめるのに」
共感した。情熱とか使命感とか、そういう部分に人生の基軸をおいているひとに私は惹かれる。そしてそういうひとは、けっして、いつも一緒にいてくれるひとにはなり得ない。なのに、わかっているのに両方を欲しがる。そして、さびしいよ、でもしかたない。この間を揺れ動くことになる。
刑事の女性は最後に「そしたらのめりこめるのに」と言っているけれど、これはどうかな。彼女は、いつも自分のためにいてくれるひとでは、満たされないように思う。
どちらかしか選べない。
私はどうか、と自問する。
私は好きなひとといたい。けれど自由でいたい。その間でもまた、揺れ動いている。
完璧な関係性なんてない。ただ、自分はいったい何がもっとも欲しいのか、というところから目をそらさないこと。これがたいせつなのだと思う。
これは自分が信じる美にどこまで忠実になれるか、ということにもつながる。だから私は目をそらしたくない。
一冊の本を書き上げて、イベントも終えて、次の本の準備を頭のなかでしながら、でも、追い立てられる感覚から解放されているひととき。すこし余裕があるといろんなことを考える。いろんなこと、とはいってもほとんどが自分自身のこと。私はいまどこに立っているのか、何を見ているのか、何を求めているのか、そういうこと。
写真は、「カトリーヌ・ドヌーヴの言葉」の見本が届いた日に、隣のお花屋さんで買った薔薇。赤ではなく濃いピンク。その場の光をうけて、自在に色彩が変わる。私が魅力的だと思う女性のような花。