■人生の脚本
「人生は半分は芝居なのだ、というような生き方をしている人たちと同じように、私もまた、その芝居が自分流によって、ただ自分だけによって書かれた脚本でなければ、そうした芝居は我慢できないと感じていたのだった。」
フランソワーズ・サガン「ある微笑」から。
2020年1月1日深夜、というか2日の朝、眠れなくてサガンの本を読んでいて、私は、なにか、啓示をうけたような感覚になった。
眠れない原因は、あの日の涙、号泣、嗚咽、取り乱した私。翌日、それと別世界のようなコミカルな時間、穏やかな時間。
そのあまりのギャップに精神がついてゆけなかったのだろう。さまざまなことの根本的な要因を考えていたら目が冴えてしまった。目が冴えたら不安に襲われ、ベッドから起きて仕事場へ。サガンの本を適当に手に取ってこのフレーズに出逢った。
2019年がどんな年だったのか、2020年をどんな年にしたいのか。
そういったことはまったく考えることなく、過ごしていた数日間だったけれど。
いま私は、自分で書いた脚本で演じたい。それで失うものがあったとしても、誰かによって手直しされた脚本で演じるよりは、喪失を選ぶ。
そんなふうに思っている。
あたりさわりのないように、とりあえず波風少ないように、面倒なことを増やさないように。
とは逆でいってみようか。
とにかくいまは、早く次の作品、そして、その次の作品を書きたくてたまらない。
ただ、こういった欲望と同じくらいのエナジーで、たいせつにしたいひとがいる。どうにもならない。
写真は2019年5月2日の花。カラー。