■泣けるほどに美しい季節、たとえそれが短いときであっても(ロセッティとリジー)
2020/05/18
ピンクの花が、目に嬉しい。
自粛中は、花が恋しくてどうしようもない。隣がお花屋さんでほんとうに良かった。
さて、今日は美術エッセイをひとつ。
長年、新人物往来社(のちにKADOKAWA)で私の担当編集者としての激務(?)をこなしてくださっていた岡田晴生さん。
生き方シリーズ、そして「美神の恋」は彼と創りました。『ココ・シャネルの言葉』、どこも出版してくれなかった「ココ・シャネルって誰?」時代、岡田さんの周囲の反対を押し切っての決断がなければ、いまの私の仕事はどうなっていたか。
その岡田さんが、いちばん好きだと言ってくれたエッセイをここに発表します。
別冊歴史読本「英王国恋物語」(2007年)に寄稿したもの。
感動の体験、ちょうど10年前。「泣けるほどに美しい、リジー記念日」として書いていました。
先日アップした、(こちらは会員限定になってしまいますが)
「彼女だけの名画」2:ロンドン、「ベアタ・ベアトリクス」
と合わせてお読みいただくとまたいろんな想いが……きっと……。
***
ロセッティ〜のミューズ、リジー。泣けるほどに美しい季節
モデル エリザベス・シッダル(リジー)
画家:ロセッティ
■儚いミューズ
ロンドンのテイト・ブリテンに行く予定の人から必見の一枚を尋ねられたなら、数多くの名画を頭に浮かべながらも、私はやはり『ベアタ・ベアトリクス』と答えるだろう。
なぜなら、これほどまでに「物語」を内に秘めた絵は、そう多くはないと思うからだ。
描いたのは、ラファエル前派のリーダーとして名高いダンテ・ガブリエル・ロセッティであり、モデルはエリザベス・シッダル、愛称リジー、ロセッティのミューズだ。
ロセッティの人生に強烈な影響を与えたミューズとしては、もうひとり、ジェーン・モリスがいる。この二人のミューズはまったく違うタイプだった。ジェーンが原色の美しさをもっているとしたらリジーは淡い色のそれを、ジェーンには重厚な存在感があったとすれば、リジーには儚さが、といったふうに。
儚さ。そう、リジーは、儚さゆえの美しさをもっていた。そんな女が、ロセッティのような男と出逢ってしまった。そして彼を愛した。彼女の悲劇的人生の始まりだった。
■夢を満たす女
友人のアトリエでふたりが出逢ったとき、ロセッティは二十一歳、リジーは二十歳になったばかりだった。
リジーは若い画家たちの人気モデルだった。『オフィーリア』(ミレー)のモデルも彼女だ。ミレーのために浴槽で溺死者のポーズをとり、それが長時間におよんだため、お湯が冷えてしまって身体を壊したという有名なエピソードがある。
ひかえめで従順で、そして美しいリジーにロセッティは「ベアトリーチェ」を見た。
彼は、自分の名の由来でもあるダンテ(『神曲』で有名なイタリアの詩人)を信奉していた。
ダンテは九歳のとき天使のような美少女ベアトリーチェに出逢い十八歳で再会する。ダンテはベアトリーチェを、彼女が若くして亡くなった後も、「永遠の恋人」として心酔し続けるのだが、ロセッティは、ダンテとベアトリーチェに自分とリジーを重ねたのだ。
リジーが庶民階級の出だったからか、ロセッティはリジーをなかなか家族に引き合わせなかった。けれど、のちに詩人として名を残すロセッティの妹クリスティーナは、兄の絵から敏感にリジーの存在を感じ取っていた。
ひとつの顔が
どの絵からも覗いている
ひとつの同じ姿が
笑ったり歩いたり
もたれたり
……
あるがままの女ではなく、
彼の夢を満たす女として
鋭い描写だと思う。妹クリスティーナは、ロセッティの本質を見抜いていた。ロセッティは生涯かけて「彼の夢を満たす女」を追い求めたからだ。
■死の影に覆われた結婚生活
やがて、ロセッティはリジーと婚約する。しかし、彼の周囲から他の女たちの姿が消えることはなかった。
ロセッティは「永遠の恋人」を側に置きながら、セクシャルな芳香を放つ生身の女たちと奔放に楽しんだのだ。
リジーは苦しんだ。もともと病弱で神経も細かったところに、ロセッティへの愛と葛藤が加わった。心配した友人たちはロセッティ に早く結婚しろと勧めるが、ロセッティは煮えきらない。「自分の義務を果たすべきか、自分の幸福を確保すべきか」、つまり結婚するかしないかで、まだ迷っていたのだ。
やがてリジーは鎮静剤として阿片チンキを常用するようになる。そしてますます精神的にも肉体的にも衰弱してゆく。
そして、出逢いから八年が経ったころ、リジーは突然、失踪してしまう。
ロセッティのところに、リジーの友人から連絡が入ったのは、二年後のことだった。
リジーは阿片中毒になっていて、死の影に覆われていた。ロセッティは結婚を急ぎ、一八六〇年五月に形だけの式を挙げる。家族も友人も列席せず見知らぬ夫婦が証人だった。
出逢いから十年が経っていた。
結婚してリジーはすこし落ち着いたようだったが、はじめての子供を死産するという不幸に襲われて気力をなくしてしまう。
リジーの阿片の量は増え続け、ある夜、ほかの女のところから帰宅したロセッティは、昏睡状態の妻を見る。リジーはそのまま意識を回復せずに亡くなった。二度目の妊娠中、お腹のなかには子どもがいた。覚悟の自殺かどうかはわからない。
ロセッティは悲嘆にくれた。
納められたリジーを前に、彼はすすり泣き、しわがれた声で周囲の人々に言った。
「彼女が病気で苦しんでいるとき、私は看病もせず、これらの詩篇を書いていた。いま、その詩が彼女のあとを追うのだ……」
そして棺のなかの妻に向かって語りかけた。
「この本の言葉は君のために書かれたものだ。君がいなくなったいま、この本も生き残るすべはない。愛する君とともに、永遠に埋葬しよう……」
こうして彼は詩集に厳かな決別を告げ、リジーの側にそっと置いた。
そして『ベアタ・ベアトリクス』に着手した。
亡き妻リジーの鎮魂歌として描かれたこの絵は、ロセッティの最高傑作と評価され、私自身もはじめて本物を観たときには、ほんとうに、ふるえた。
官能と陶酔と厳粛さが融け合い、なによりリジーの横顔の凄みある美しさといったら、ほとんど奇跡的だ。
ベアタ・ベアトリクス、「至福のベアトリーチェ」という意味のこの絵は、ダンテの永遠の恋人ベアトリーチェの魂が昇天しようとする瞬間を描いている。
永遠の恋人リジーの悲劇的な最期。その悲劇を招いたのは自分自身である、と思いこんだ画家が、悔やんでも悔みきれない想いを一枚の絵に塗りこめた、亡き妻への永遠の愛を描いた、ダンテ、ガブリエル・ロセッティ渾身の一枚。
■美しい季節
……と、ここで物語が終わってくれたら良かった。
リジーの死から七年後、ロセッティは信じがたい行動をとる。
詩人としても活躍していたロセッティは、詩に対する情熱が高まるにつれて、ある詩篇のことが頭から離れなくなった。そう、リジーと一緒に埋葬したあの詩篇、それを出版したいという欲望が抑えられなくなったのだ。
とうとう知人に依頼し、ある夜、リジーの墓を暴いた。天然香油の効果で亡骸の保存状態はよかったというが、ぞっとする話だ。
リジーの傍から取り出された詩篇は、翌年、『生命の家』というタイトルで出版された。ロセッティの最高傑作と評価されている。
このロセッティの行為は、やはりリジーに対する裏切りであり、醜い。
けれど、心変わりは人間の業である。
ひと組の男と女の関係において、その状態がどのくらい継続したかではなく、どのくらいの美しい季節があったか、に私は価値を置きたい。
リジーの肖像だけを集めたロセッティの素描画集がある。
どうしても本物が観たくて、掲載作品の主な収蔵先であるオックスフォードのアシュモリアン美術館を訪れたことがある。
資料室で閲覧を申請し、白い手袋をはめて、一枚一枚取り出して眺めた。
ソファで物思いにしずむリジー、髪を梳くリジー、眠るリジー、日々の生活のなかで、リジーを見るロセッティの愛しい視線、そしてその視線に包まれるリジーの穏やかな悦びを感じて胸がつまった。
このデッサンをした日々、ロセッティはたしかにリジーを愛していた。
「彼の夢を満たす女」としてではなく「あるがままの女」として、リジーを愛していた。
リジーの短い生涯における、泣けるほどに美しい季節だった。
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