■こどもたち(私の本)の嬉しい活躍
7月1日、ダイアナの誕生日に、彼女の本を脱稿、ものすごい解放感と脱力感のなかで数日を過ごし、いまは次の本の資料の読みこみという日々を送っている。
そんななか、編集者さんから嬉しいおしらせ。「ココ・シャネルの言葉」と「オードリー・ヘップバーンの言葉」がそれぞれ1万部ずつの重版に!
わーい。嬉しいな。産んだままこれといって手をかけていないこどもたちが、がんばっているかんじ。
今回は、この2冊に広末涼子さんの帯コメントがついた。彼女がご自身の『ヒロスエの思考地図』で紹介してくれたことからのご縁みたい。
23万部とか15万部とか自分のことのように思えない。
多くの人が興味あるようなテーマで、けれどその内容は、いまの私が伝えたいこと、書かないではいられないことを書く、というスタイルでずっと書いてきた。これからもそうするだろう。
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先日再読したフランソワーズ・ジロの本に興味深い一節があった。
同棲相手との関係に悩んでいる彼女が、久しぶりにひとりきりでカフェにいる。
「しだいにカフェは混雑してきて人々でいっぱいになった。私のまわりを流れる人間的生命の動きのなかにいて、私はある種のやすらぎを覚えた。…
彼らの身振りや表情をじっとみているうちに、結局は、彼らもほとんど私と同じような、ある人は私よりはるかに重い重荷を、背負っているのだ。私たちはみんな形は違っても、仕事をして同じ方向に向かっているのだ。私がひとりなら、みんなもひとりなのだーーただそれだけで、それ以上のことではない、と思うのだった。私の重荷の一部がおりた。
人間ひとりひとりがみな孤独なのだ、私たちはお互いにすべて依存し合っているのだ、とはっきり感じ、私はこれからも彼との関係を続けてゆくのだ、と決心がついた。それからは、私はこれまでの2年間よりも不幸ではなくなった。」
そのために考えるために立ち寄ったカフェではないのに、こういう、ある種の確信が、ふと降りてくるときがある。私にはフランソワーズのこの感覚がよくわかる。
そして、昨日「よい子の映画時間」にりきマルソーがあげてくれた「Paris」に流れるものと、とても似た香りがこの一節にあるように思った。もう一度観てみよう。
*書店の風景の「1位」の写真は「丸善 豊田T-FACE店」。