*フェイスブック記事 ◇おしらせ ブログ「言葉美術館」

■こどもたち(私の本)の嬉しい活躍

 

 

 7月1日、ダイアナの誕生日に、彼女の本を脱稿、ものすごい解放感と脱力感のなかで数日を過ごし、いまは次の本の資料の読みこみという日々を送っている。

 そんななか、編集者さんから嬉しいおしらせ。「ココ・シャネルの言葉」と「オードリー・ヘップバーンの言葉」がそれぞれ1万部ずつの重版に!

 わーい。嬉しいな。産んだままこれといって手をかけていないこどもたちが、がんばっているかんじ。

 今回は、この2冊に広末涼子さんの帯コメントがついた。彼女がご自身の『ヒロスエの思考地図』で紹介してくれたことからのご縁みたい。

 23万部とか15万部とか自分のことのように思えない。

 多くの人が興味あるようなテーマで、けれどその内容は、いまの私が伝えたいこと、書かないではいられないことを書く、というスタイルでずっと書いてきた。これからもそうするだろう。

***

 先日再読したフランソワーズ・ジロの本に興味深い一節があった。

 同棲相手との関係に悩んでいる彼女が、久しぶりにひとりきりでカフェにいる。

「しだいにカフェは混雑してきて人々でいっぱいになった。私のまわりを流れる人間的生命の動きのなかにいて、私はある種のやすらぎを覚えた。…

 彼らの身振りや表情をじっとみているうちに、結局は、彼らもほとんど私と同じような、ある人は私よりはるかに重い重荷を、背負っているのだ。私たちはみんな形は違っても、仕事をして同じ方向に向かっているのだ。私がひとりなら、みんなもひとりなのだーーただそれだけで、それ以上のことではない、と思うのだった。私の重荷の一部がおりた。

 人間ひとりひとりがみな孤独なのだ、私たちはお互いにすべて依存し合っているのだ、とはっきり感じ、私はこれからも彼との関係を続けてゆくのだ、と決心がついた。それからは、私はこれまでの2年間よりも不幸ではなくなった。」

 そのために考えるために立ち寄ったカフェではないのに、こういう、ある種の確信が、ふと降りてくるときがある。私にはフランソワーズのこの感覚がよくわかる。

 そして、昨日「よい子の映画時間」にりきマルソーがあげてくれた「Paris」に流れるものと、とても似た香りがこの一節にあるように思った。もう一度観てみよう。

 *書店の風景の「1位」の写真は「丸善 豊田T-FACE店」。

-*フェイスブック記事, ◇おしらせ, ブログ「言葉美術館」