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▪️新刊『私を救った言葉たち』のお知らせ

 

 

 昨夕、見本が届いた。毎回、感慨深いものがある瞬間だけれど、今回の本は、なにかいつもとは別の香りがした。

 昨年末から3月末まで、原稿だけの日々を送っていた。人に会うのも、アルゼンチンタンゴを踊りに行くのも最小限にして、寝ても覚めても原稿、という日々だった。まだこんなに集中できるんだ、と自分で自分に驚きながら、真夜中、休憩のために窓外の夜景を眺めながら、次から次へと浮かぶ言葉に酔ったようになって「生」を体感して、結局のところ私は何より、これなんだな、書くことに夢中になっているとき以上に、ずしんとした充実を感じられるときはないんだな、とさびしくもでもどこか安堵めいた想いのなかにいた。

 今回の本のきっかけは「おわりに」でも書いたけれど、娘からのリクエストだった。その前の『彼女たちの20代』も彼女からのリクエストではあったけれど、今回のはもっと違う香りを帯びていた。

 編集・出版が娘、著者が母ということで、いろんなことを想われるのだろう。これは出版社ブルーモーメント立ち上げのころから懸念していたし、私が第三者であったら意地の悪いことを言っていたかもしれない、いろんなことを、と思う。

 だから編集者がいっそ「娘」でなければよかったのに、とも思う。一冊の本を作るなかでは、私たちは親子という関係にないからだ。私は、私の作品に価値を見て的確な助言をくれる信頼できる編集者として彼女を見て、そして彼女も作家として私を見ている、そういう関係性にあるからだ。本作り以外ではぜんぜん違うけれど。

 今回の本は、もう何年も前の『うっかり人生が過ぎてしまいそうなあなたへ』以来の、自分のことを語ったエッセイ集となる。本には書かなかったけれど、私の遺言でもある。執筆中に母の死があったことも大きい。

 発売前の落ち着かない気分。でももうどうにもならないんだから、なるようにしかならないんだから、と自分に言い聞かせている。本を出版するということは、とくに今回の本のような自分のことを書いた本を出版するということは、とんでもない覚悟が必要なのだから。

 と、いまはちょっとした解放シーズンのなか、執筆中にひかえていた友人たちとの食事やアルゼンチンタンゴを楽しみながら、それでもいつも胸の奥のほうで、ばくばくしている。

 どんな本なのか「はじめに」から抜粋します。

***
 生き続けるということはたいへんなことです。
 いままでの人生、何度もふらついて、何度も立ちつくして、何度もがくりと膝をついて、何度もばたりと倒れて、何度も暗闇に落ちました。
 そんな息苦しいさまざまな状況のなか、私を救ってくれたのは、数々の本、そこにある言葉でした。
 立ち直る足がかりになった言葉、背中をやさしくなでてくれた言葉、そんなふうに感じるのはあなただけではないとささやいてくれた言葉、綱渡りのセイフティネットのように、落下した私を守ってくれた言葉……。

 そんな言葉たちを、私と似たような感覚をもち、私と似たかんじで苦しんだり傷を負ったり暗闇のなかでもがいている人に届けたくて、本書を書きました。
 あのころの私がどんな言葉に、どんな状況のときに、どのように救われてきたのか、その体験を語ることで、私と似た人たちの心に何かが残せるような、そんな本です。

 (略)

 言葉と出合い、その言葉を書きとめるようになってから三十年以上の月日が経ちましたから、その数は膨大です。
 ですから、この一年という月日、私が日々の生活をするなかで、友人との会話や街で見た光景などから思い浮かんだ言葉を選びました。その言葉から過去に導かれるまま、あの日あのとき、私がどんな状況でどんな言葉にどんなふうに救われてきたのかを綴りました。

 人生にはさまざまなシーズンがあり、経験を重ねるなかでは響く言葉も変わってきます。以前は響いたけれどいまはそれほどでもないという言葉もあるし、いつしか自分のなかから消えていった言葉もたくさんあるのでしょう。
 けれど今回選んだ言葉は、毎日の生活のなかで思い浮かんだ言葉ですから、いま現在の私とともに生きている言葉、ということになります。

***

 そんな本です。
 書店に並び始めるのは5月3日前後。出版社ブルーモーメントでは予約が始まっています。
 お読みいただけたら嬉しいです。

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