■「間奏曲はパリで」人生の間奏曲を考える
ひとつの原稿の締め切りがひと段落して、さてさて、次の原稿のための情報収集を。
という自分への口実で映画を観ている。
好きな女優イザベル・ユペールが出ているのに、見逃していた「間奏曲はパリで」。これ、それほど期待しないで見始めたのだけど、とてもよかった。
話は複雑ではなくて、ひとり息子も独立して、夫婦ふたり、田舎で農場を営むんでいる。年齢はどのくらいの設定なのだろう? 50代後半くらい? 何度目かの倦怠期を迎えている、そんなかんじ。
それで、イザベル・ユペール演じるヒロインが、ひとりでパリに行く。2泊の予定で。夫には嘘をついて。そしてほかの男性と楽しいひとときを過ごし一夜をともにする。
不審に思った夫がパリにゆき、ほかの男といる妻を目撃、でも何も言わないで帰ってくる。そして、二日後、妻も家に帰る。そしてふとしたことから、夫がパリで自分を見かけたことを知るのだけれど、何も言わない。
何年か前、夫もほかの女と寝て、それを知っていたけど、言っていなかった。
ようするに、夫婦ふたりとも、それぞれの婚外性交渉(浮気って言葉嫌いだし、不倫なんてもっと嫌いだから、あえてこれ)知っていて、それを口にせず、そのうえで、いちばん一緒にいたいのはあなた、ということ。
浮気? 許せない! きーっ。
ってならないのはフランスだからかな。アメリカではこうはいかない。アメリカのドラマを見ていて居心地が悪いのはそこのところだから。日本もだめね、きっと。
原題は、「La Ritournelle」、リフレイン、とかルーティーン、という意味。
ずっと同じような日常のなか、それほど大きくはないけれど、ふとした衝動が突き上げてくることがある。それが多い人と少ない人とがいる。
この映画の夫婦は、私から見れば少ない人。
邦題に使われた「間奏曲」という言葉。
これ、センスあるなあ。
間奏曲って、通常は劇や歌劇の幕間(まくあい)に演奏される音楽のことでしょ。
けっしてメインではないけれど、これがないとメインがもたないわけだから。
人生にだって間奏曲は必要。
結婚していたってしていなくたって、恋人がいたっていなくたって、自分の人生の間奏曲、そのときどきで何を選ぶか、それが生きるセンスに通じているように思う。
それでこの夫婦は、仲良しこよしで、映画は、イスラエルの死海、とても美しいシーンで終わる。
私は、このシーンで、夫婦の今後よりも、ああ! 死海でミネラルたっぷりの泥にまみれたい、という、それこそ衝動が突き上げてしまった。
しばらく、死海に行きたいなあ、とぼんやりとしてしまったので、翌日、この夫婦の今後に想いを馳せた。
映画のレビューもいくつか、ネットで見てみる。
平凡な主婦がちょっとした冒険後、ほんとうにたいせつなものに気づく。感動的な夫婦愛。
みたいなかんじのが多かったけれど、私はそうは思わない。
これからも、どんなのかはわからないけれど、このひとたちは「間奏曲」を求めるのだろう、と思う。
それで、またリフレインに戻るか、間奏曲が間奏曲ではなくなるかは、わからない、と私はとらえたい。
なぜなら、人生って、そんなきれいごとですまないから、ほとんど。とくに男女の間のあれこれなんて、油断も隙もないから。それに、そのほうが人生、飽きないから。