◎マーラー 君に捧げるアダージョ◎
2016/10/21
渋谷の平日のユーロスペース、マーラーとその妻アルマの物語を観に出かけた。
午前中という時間帯だったからだろうか、それともマーラーだからか、コンパクトな劇場はひじょうに年齢層が高かった。
アルマ・マーラーといえば、キキとともに、私のミューズ探求の原点のひとりで、『美神の恋 画家に愛されたモデルたち』のなかでも、かなり力をいれて書いているひとりだ。
芸術学校主要四課目の女神、あらゆる天才たちのミューズ、すべての芸術と結婚した女性。それがアルマ・マーラー。
グスタフ・クリムトがファースト・キスの相手、作曲家のツェムリンスキーとの恋愛を経て、23歳のとき、19歳年上のグスタフ・マーラーと結婚する。マーラーはアルマに夢中で、
「彼女は私を愛している! この言葉にわたしの人生すべてが含まれている。この言葉が言えなくなったとき、わたしは死ぬだろう」
と言ったが、ほとんど現実となってしまった。
マーラー亡き後、以前から恋愛関係にあった建築家のグロピウスと結婚するが、グロピウスと恋愛中、同時に世紀末の奇才、画家のオスカー・ココシュカと恋愛関係にあった。
私はこのココシュカとアルマの関係にもっとも惹かれ、アルマがココシュカに描かせた大作「風の花嫁」という絵をテーマに中編小説を書いたほどだ。
その後、グロピウスと離婚したのち、詩人のヴェルフェルと結婚、神父とも恋愛関係にあったりして、85歳で亡くなるまで愛に生き続けた。
私は本のなかで、「アルマの魅力、男たちをとらえて離さなかった彼女の最大の魅力は、いったい何だったのか」という問いを発し、それについて次のように書いている。
「まず容貌の美しさに加えて、アルマには「才能」を見抜く天性の力があった。
その彼女に愛されることは才能ある男の証明となった。
男たちはアルマの愛を欲し、愛されれば自信をもち、創作に燃えた。
そして彼女は、けっして男に征服されなかった、クリムトが言うように男の征服者だった。アルマはそういった自分の魅力を知りつくしていた」
そして私は「アルマの生き方に憧れるわけではない」としたうえで、
「それでもアルマが私のなかでひときわ輝くのは、関わった天才たちの数、そのスケールが超人的であるからだ。
その意味において、彼女は一流の芸術家だった。
作品を創造したわけではない。作品を創造し、それを後世に残したのは、クリムトであり、マーラーであり、ヴェルフェルであり、ココシュカだった。
それでも彼女は芸術を生み出した、と私は考える。そ
れは、天才に愛されると同時に、彼らにインスピレーションを与え、作品を創造させるという芸術だった。
彼らはアルマを愛することによって、一流の作品を遺したのだ」
映画は、マーラーとアルマ、その夫婦関係にひびを入れる存在としてのグロピウスが登場する。
ほんの少ーしクリムトも。
マーラーがフロイトの診断を受けながら、夫婦の関係を考えてゆくというスタイル。
私の好みからすれば、アルマの奔放さがあまり出ていなくて、夫に作曲を禁じられた妻、犠牲となった妻、的な部分が強調されすぎているように思った。
ひとりの人間を描くことは、どこからその人を見るかによって大きく異なる。
伝記めいたものもときおり書いている立場の物書きとして、そのあたりをもう一度考えさせられるきっかけとなった映画だった。
ところでアルマの衣装、黒いちょっと長めの、リストを飾る黒い布の上に、赤いブレス。好みだった。これもらったわ、とこころでつぶやいていた。軽薄な映画鑑賞。