◾︎「ミス・シェパードをお手本に」
どうにも不調の数日間を過ごした。
原因ははっきりわかるものがふたつ、よくわからないものが数個、そこに体調不良が加わった。当然、眠れない。お友だちと電話で話したり、おいしいお酒を飲んだりして、なんとか立ち上がる。
不調のなか観た映画、「ミス・シェパードをお手本に」。
イギリスの大女優、マギー・スミス、80歳を超えてこの演技。
劇作家の男性が語り手で、最初に「ほぼ実話である」とあるように、彼の実体験が書かれている。謎のホームレスの老女との奇妙な15年間の交流を描いた物語。
彼は自分の母親のことをネタにした戯曲を書いていて、すっきりしない気持ちを抱いている。
もっとほかのことが書きたいのに書けない。ドラマティックな人生を生きていないから、自分のことで書くことがない、だから身の回りの出来事、平凡な老女である母親のことを書いている。
作家が語り手だから、いちいち彼の逡巡や書くことのいやらしさ、作家の業みたいなものに、ひりひりする。
ホームレスの老女との日々のことを書き終えたあと、彼が自分にむかって言うセリフ。
「自分を物語にするんじゃない。物語に自分を見出すんだ」
これとほぼ同じことを、大好きな坂口安吾も言っていた。
作家は「ただ作品を通してのみ、作品に依ってのみ、作品の後に於いてのみ、己を知るようになるのである」、って。
ほんとにそうだな。私も自分を発見するためにいろんなものを書いているのかもしれない。人生を知りたい、生きるってどういうことかを知りたい、でもほかの人のことはわからないから、自分を探求する。それ以外にすべはない。
この映画で響いた言葉がもうひとつ。これは劇作家が引用する、という形で登場するのだけれど。
「優しさはあらゆる徳の中でもっとも自分本位なものだ。そして十中八九、怠惰な性格に過ぎない」
イギリスの作家ウイリアム・ハズリット(1778〜1830)の言葉。
ちょうど、このところ考えていたことに、ぶしゅ、って刺さって、またしても考えこんだ。
大好きなサガンの「優しさのない人とは、相手ができないことを求める人です」、との間でゆらゆらゆれる。
もちろん「優しさ」とは何か、の定義は必要だろう。
私が感じる、優しさというのは、やはり知性に通ずるもので、そこには美がなければならない。
そういう意味での優しさであれば、私は優しい人でありたい。
映画を観終わったあと、上階にいくと娘がくつろいでいた。
「原稿からの逃避でつい観てしまった映画だけど、面白かったよ、いいセリフもあった。さてクイズです。優しさとは十中八九〇〇である、〇〇の中に入る言葉は?」
娘は即答した。「自己満足!」
「ほぼ正解だわね」と私は言った。
それからまたひとりになって考えた。
あのとき、そして、また別のあのとき、私がとった行動は「怠惰な性格」によるものだったのだろうか。
いまふたたび考えても答えはわからない。