▽映画 ブログ「言葉美術館」

■ドヌーヴと「ありがとう」とモンブラン■

 

 「カトリーヌ・ドヌーヴの言葉」の見本が届いて、いま、その本を前に、いつものように、しみじみとした感慨と、ある種の達成感と、どこか他人事のような、そんな想いのなかにいる。

 取りかかり始めたのはいつだっただろう。冬の終わり、春のはじまり。でもそのころはタンゴの小説に没頭していたから、本格的には春の終わりだっただろうか。

 「おわりに」に書いたけれど、今回の本はふたりのお友だちの存在がなかったなら、絶対無理だった。いつもは何冊もの本を読み込んでいくのだけれど、ドヌーヴについての本は一冊もないに等しかったのだから。

 最初は、ほんとうに仕上がるのだろうか、量が足りないんじゃないか、と心配だった。それなのに最後は、ほぼ3分の1をざっくり削るくらいになった。

 すべては谷くんのおかげ。ウェブから膨大な量の資料を集めて翻訳してくれたから。

 そして100本以上の映画出演をしているドヌーヴの作品、これも難関だった。日本で視聴可能なものは約50本。これをこのサイト「よいこの映画時間」で連載をしてくれているりきちゃんと観て、まとめた。

 ほぼ毎週水曜日の夜、映画を一緒に観て、あるいは互いに「宿題」として観ておいて、映画の感想を語り合った。りきちゃんは自ら「本の出版と同時にドヌーヴ特集をいっきに公開できるようにしましょう」って言ってくれて、いつものように私たちの会話を録音、それを文字におこして、まとめてくれた。

 その数33本! テープおこし、画像挿入、リサーチ、ものすごいエネルギーが必要だったはず。

 それだけではない。りきちゃんは、映画監督アルノー・デプレシャンの本が数万円すると知って入手を諦めた怠惰な私に、国会図書館に出かけて、資料を渡してくれた。あのときの感激は強かった。

「フランソワ・トリュフォー監督が好きになった」と言って、分厚い本を何冊も買って読みこんでいた。

 谷くんも、どんどん、「こんなのを見つけました」って送ってくれた。私は本気でよく彼に言ったものだ。「いまぜったい、私よりドヌーヴに詳しいよ」。

 私は、彼らに背中を押されて、どうにか一冊の本を仕上げることができたのだ。

 彼らとともにいて、強く思ったのは、彼らが「お手伝い」感覚でそれをしているのではない、ってこと。

 もちろん、そう、もちろんふたりとも「しょうがねえなあっ」って想いはあっただろうけど、おそらく、彼ら自身、ドヌーヴに対する、ドヌーヴの生き方、映画、あるいはドヌーヴをめぐる映画監督……といったものに、興味を抱いていた。

 ほとんどお金にはならないから仕事とは言えないのだろう。しかもどんなに時間をかけて頑張ったとしたって、これは山口路子の本なのだ。

 それなのに、「いまそれをすること」についての疑いは、彼らにはなかったように思える。すくなくとも私にはそう思えた。私は、そんな彼らを見ながら、ああ、これはひとつの才能だな、って思っていた。

 興味のあることについて、人生の時間を使うことへの逡巡がない。

 そう。私はそんな才能をもつ彼らと出逢えて、そして、いろんな巡り合わせで一冊の本を作ることができたこと、そのことがいま、とっても嬉しい。

 と同時に、誰かの手助けがなければ書けなくなってしまったのかな、という想いがあるのもほんとうだ。

 下訳をしてもらったことはいままでにだってある。けれど、今回のような、「彼らが頑張っているから私も頑張らなくちゃ」みたいな感覚ははじめてだった。

 これからどうなってゆくのか。

 ……わからないから考えない。自分の精一杯で書き続けてゆくだけ。

 それにしても。

 3人でのミーティングは刺激的で愉しかった。「カトリーヌ・ドヌーヴ」という共通項で集い、会話をする。ゲイのりきちゃんは谷くんが好みだと本人に言い、私はどうしてりきちゃんは女がダメなのよぅ、って嘆き、恋愛についての失敗談、あんな話こんな話、そして、そのなかに確実にある自分の正体、そんなのを見せ合って過ごしたあの時間は、貴重だった。

 ドヌーヴ脱稿は11月21日。その一週間後、3人で集まった。

「ありがとう」のプレートをのせたモンブランケーキと記念撮影。

 ほんとうに、ありがとう。

 

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