ゆかいな仲間たち よいこの映画時間

◎66本目『Summer of 85』


【あらすじ】
 16歳のアレックス(フェリックス・ルフェーヴル)と18歳のダヴィド(バンジャマン・ヴォワザン)。海で出逢ったふたりは、惹かれあい、やがてお互いに夢中になります。アレックスにとっては初恋でした。関係が最高潮のときダヴィドの提案で、ふたりはある誓いを立てます。「どちらかが先に死んだら、残された方はその墓の上で踊る」。
 ふたりの関係はやがて変わり始め、アレックスは不実なダヴィドを責め、そしてダヴィドは交通事故で亡くなってしまいます。アレックスは悲しみを乗り越えるべく、ダヴィドとの誓いを実現させようとしますが─。 

 

路子
路子
よかったねー。

久々にオゾンの映画でいいなぁって思えました!
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
オゾン監督って何歳なのかなって思ったら、ほぼ同年代だった。
私が66年生まれで、オゾンが67年生まれ。
オゾンが17歳でこの映画の原作を読んでいた85年、私は何をしていたかなと思いながら映画を観てた。
りきちゃんは20歳下だから、生まれてない?
その1年後に生まれました。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうよね。
85年はエイズパニックが起こる前年で、「エイズによってもたらされるトラウマを1ミリも感じないようなのんきな時代」だったと、オゾンが言ってた。
私が小さい頃、ACのエイズのCMがよく流れていたような気がします。だから85年から数年後に爆発的に広がっていたんですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
その当時は、エイズは同性愛者に多いと言われていたし、自分は同性愛ではないから、怖いなぁと思う程度だった。
他人事だった感じですか?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうね。

 

 

路子
路子
オゾンは、『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』の撮影後に、たまたまこの映画の原作の小説『おれの墓で踊れ』を読み返して、昔、映画化したいって思っていたことを思い出したらしい。そして今なら皮肉っぽくもなく距離を置いて撮れるだろうと思ったって。35年の月日が必要だったのね。
結果的には、それくらいの年月が必要だったということが、同年代だからすごくよく分かる。よく分かるし、そういうのありだよねって思える。
例えばどういうところで、そう思ったんですか?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
オゾンがもっと若い頃にこの作品を撮っていたら、「同性愛はマイノリティで、抑圧されたもの」という主張がもっと出ていたと思う。
もっとゲイゲイしい内容にもなっていますよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そう。同性愛の苦しみも、もっと描いたと思う。
だけど、年数を重ねたことで、色々なものを見て、考えて、苦しさとかゲイゲイしさではなく…。
若者の荒々しさとかをたくさん経験して、経験してきたことを客観的に描けるようになったんですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
かつ、客観的に見ているからこそ、10代の頃の恋の感覚と、今、自分が恋をする時の感覚が何も変わらないってことも、分かっているの。
繰り返しているんですよね(笑)。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
大人になればうまくやっていけるんだって、きっとオゾンも思っていたと思う。でも、35年経っても変わらない。だからこそ、そこには普遍性がある。
恋愛の普遍性を不純物なく作り上げている感じがしたからこそ、すんなりと物語に入っていけたし、異性愛者でもすごく共感できる。
アーティストとしての立場から言うと、どんなに年数が経っても、描くべきものはいつか描くんだろうな、って思う。同時に、それをこんなふうに描けるオゾンがうらやましい。

 

 

この作品こそ、同性愛という枠組みにとらわれない恋愛の映画だと思いました。
『マティアス&マキシム』の時は、そういう言い方をしている宣伝方法に疑問を抱いていましたけれど、今日はすんなりと受け入れられたんですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうなのよ、その違いが重要なの。
オゾンもドランも「この映画は純粋なラブストーリーで、同性愛やセクシュアリティは関係ない」と、明確に主張しているけれど、今回、もやっと感じなかったのはなぜかしらね。
『マティアス&マキシム』の時は、ストレートである主人公ふたりの関係の間に、「同性愛への罪悪感」みたいなものがありましたよね。
『Summer of 85』では、アレックスのおじさんの女装話に絡めて、お母さんがそういった人のことをどう思っていたのかとか、堅物なお父さんが、ゲイである自分のことをどう思っているか、みたいな悩みはありました。でも、それを超えるくらいの恋愛感情が描かれているし、そこには、同性愛からくる苦悩や罪悪感みたいなものは感じられないんですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
アレックスがダヴィドに惹かれていく時に、相手が男だからという意識が全然ない。たまたまそうであったのかもしれないけれど、これが例えばダヴィドが遊び慣れた年上の女性であっても成立すると思う。
そうですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
だからもやっとした感じもないし、青春の甘酸っぱい…。
誰にでもあるような普遍的なストーリーですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
本当にその通り。
監督が同じことを言っていたとしても、描き方でこんなに違うんですね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ドランが『マティアス&マキシム』の時に、「これは普通のラブストーリーだ」と、強調していたけれど、それがまた何か新たな問題を生んでしまったのだと思う。
それをピックアップして宣伝したりしていたので、余計に違和感を感じたのかもしれないですね。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
そう。それによって、私たちが作品を受け取る時に悪い働きをしてしまった。
路子
路子
例えば、主人公たちは幼馴染で、突然同性愛に気付いてしまって苦しんでいるし、ドランが苦しみを描きたかったと言っていれば、素直に納得していたかもしれない。でも「普通のラブストーリー」を強調したことで、そう受け取らなきゃいけないの?という考えになってしまって、映画そのものを純粋に味わえなかった。
『Summer of 85』は、ごく普通のラブストーリーを強調して宣伝しているわけではないし、青春のひとコマ!みたいな感じだったから、引っ掛かりがなかった。男と女が入れ替わっても成り立つね、って、観た側の私たちが言うことなのだと思う。

 

 

路子
路子
しかしダヴィドは最初からアレックスを強引に誘っていたけれど、あの強引さはすごかったわ。
あれはきっと母親譲りですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
デデスキちゃんね(ダヴィドの母親役のヴァレリア・ブルーニ・デデスキのこと)。クレイジーさがある。途中で、ダヴィドのお父さんは妻と息子に殺されたんじゃないかって思うくらい変な感じだった。病んでいる感じというか。
ダヴィドも母親も、精神が安定している感じはしなかったですね。
デデスキは前から好きでしたけど、どんどんよくなっていきますよね。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
声の出し方とかもよかった。

 
 
 
路子
路子
ねえねえ、ところで、アレックスのお母さんは何であんなに歳をとっているの?
おばあちゃんぐらいに見えたけれど。

たしかに。
原作とかには書いてあるんですかね…アレックスのお母さん役のイザベル・ナンティは59歳ですって。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ええっ??
デデスキが56歳なので、そんなに上じゃないんですよ。
むしろ、母親同士は割と同世代。
でもそういう見た目の違いで、貧困の差を描いていたのかもしれませんね。金持ちは若くきれいに見えて…。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
苦しい生活をしていると早く老けちゃうみたいな。
それを出したかったのかもしれないわね。
路子
路子
タイトルを『墓の上の踊り』とかにすればいいのにとか思っていたのよね。
あとで原作のタイトルがそれに近いものだと知ったの。
原作のタイトルは『おれの墓で踊れ(エイダン・チェンバーズ:作)』。
そのタイトルにしなかったのはネタバレ防止のためみたいですね。「小説と違って、映画では映像でストーリーを知っていくわけだから」と、オゾンは言っていました。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
原作でもそうなのかもしれないけれど、「なぜ死に取り憑かれているかを説明する」という冒頭のアレックスの語りにより、普通のラブストーリーだけではなく、ミステリーの要素も出てくる。そのつかみが上手かった。

 

 

路子
路子
クラブでのダンスシーンは、一番高揚感のあるシーンだった。
このダンスシーンはソフィー・マルソーの『ラ・ブーム』のオマージュだと言われていますね。私、観たことないんですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
りきマルソーのマルソーは、ソフィー・マルソーからきているのに、何で観たことないのよ(笑)。
私は公開当時、まだ映画を観たりしていなかった頃だった。
きっと、ピチピチのソフィー・マルソーの青春ラブストーリー的な作品ですよね?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうだと思う。
昔観たとは思うけれど、もう一回観てみようかな。

 


 
路子
路子
クラブでのダンスシーンで、ダヴィドは、ロッド・スチュワートの「Sailing」が流れるウォークマンのヘッドフォンをアレックスの耳にかけてあげるけれど、アレックスに聴かせておいて、自分はディスコで流れる音楽で踊っているのよね。

オゾンが「ふたりの離別を予告」しているシーンだって言ってましたね。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
それは私、わからなかったな。ふたりの仲を裂く役として登場するケイトがアレックスに言うじゃない?「あなたはダヴィド本人ではなく、自分が作り上げた人に恋をしていた」って。それもダンスシーンに象徴されているかもしれない。
路子
路子
例えば、ディスコで流れる音楽に身を任せるのではなく、ウォークマンから流れる「Sailing」にあわせて目を閉じてうっとりとひとりで踊っているんだけど、たぶん、ダヴィドと踊っていることをイメージしているのよね、となりにディスコ音楽でのりのりのダヴィドがいるのに。恋をしている時って自分の中で完結しちゃうみたいなところない?

自分に酔っているみたいな感じですかね。
それとも、ダンスの後のアレックスの語りであったように、「会っているのにまだ物足りない」という感覚は、恋の形を自分の理想に近づけたいという思いがあるからですか?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ああ、それもあるのかな。ダヴィドはどうだったんだろう。
少なくとも、ダヴィドはそこまで深く考えてはいないですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
うん、全然。
小説を書く才能があるくらいだから、アレックスの方が想像力もあって知的。ダヴィドはそうじゃないでしょう?
でも、詩の暗唱をしていましたよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
確かに。あそこでハッとさせる。
だからそういう面は少なからかず、持っていたのかもしれませんね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
でも、よりアレックスの方が知的好奇心や知性、教養のセンスがあるとすれば、ダヴィドはそこまでではない。だからアレックスは、ダヴィドが普通にしていることを自分の感性で受け取ってしまうから、意味付けをしてしまうのよ。たぶん。すごくよくわかる。相手は何も考えていないのに、自分で勝手に意味付けしてフォーリンラブしていく感覚(笑)。

 

 

路子
路子
「会っていても物足りない、もっと触りたいし、触れられたい」というアレックスの想いは、純粋に愛ゆえのもの? それとも、ふたりの想いに温度差があるからそう思っているの?
アレックスはそう思っていても、ダヴィドはそこまでのものを感じてはいないですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
アレックスの感覚って、私たち分かるわよね?
分かりますね。もっと欲しいというか。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
まだまだ物足りないという感じ…それは自分の理想があるから?
理想…欲望…希望…?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
でも、アレックスがそう思っている時って、そこまで考えてるかな?
考えてはいないですよね。勝手に湧き上がってくる感じですね。そんな細かいことまで考える暇もないくらい、ダヴィドのことを想っているんですもんね。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
そうよね!
「会っていても物足りない…っていうアレックスの語りは、相手への不満ではなく、恋愛初期によくある、あれ。もっともっともっともっと、という気持ちに過ぎないのよね。
路子
路子
恋愛の初期って、すごく好きになった相手に対して、何をしてても、もどかしい、もっと欲しい、って思ってしまう。愛の言葉をどんなにささやいたり、身体をピッタリ重ね合わせていてもね。愛情をもっと感じたい、愛情をもっと伝えたい。なのに、ほかに方法はないの? って意味不明にキレたくなったりね。いつだって足りないの。

 


 

路子
路子
オゾンがインタビューで言ってる「そして大切なのは、過去を乗り越えて新しい物語を生きること」というラストのセリフは、原作のラストにも使われているのよね。

原作では、「唯一、重要なのは、みんなどうにかして自分の歴史からのがれること」と書いてありました。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そういう表現になっているのね。
ラストでは、酔っ払っているところを介抱してあげた男の子と新しい何かが起こりそうな予感を感じさせるような終わり方だったけれど、軽くていいわよね。
アレックスとしては、ダヴィドの墓の上で踊り、小説を書き上げたことで、すっかり悲しみを昇華した感じ。まだ悩み続けているという気持ちは、そんなに感じられないですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
うん、感じられない。
6週間という短い間でのひと夏の初恋という特色はそこにある。
そして、小説を書き上げたことで、ケイトが言っていた「自分が作り上げた、理想の、存在していない人を愛していた」ことを証明したということなのかな。
自分でピリオドを打ってスッキリしたら、次に行けるわけだから、死んじゃったダヴィドがかわいそう。
結構残酷ですよね。
別れのシーンだって、ダヴィドはアレックスのことを嫌いになって別れを告げたわけではないような気がするんですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
束縛とかを感じたり…。
ふたりの間に温度差があったということですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そう。恋愛のスタイルが違う。
でも思うんだけれど、ダヴィドはある意味誠実よね。
束縛されるのは嫌だし、飽きたから他の楽しみも知りたいというのは、非常に正直な告白だと思う。
ダヴィドの見た目や態度からして、遊んでいる人だなって分かりますよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
誘い方からして、みんなにああいうことをやっている感じだもの。まあ、本人にしてみれば、自分だけと思いたい気持ちはわかるのだけれどね。
初恋の頃なんて、そんなの分からないですよ(笑)。
「えっ、自分だけに言ってくれてる」って思っちゃいますよ!
りきマルソー
りきマルソー

 
 

路子
路子
言い争いをして、お店からアレックスが出て行った後に、ダヴィドが事故にあうけれど、ダヴィドのお母さんが言ったように、アレックスを追って行ったからそうなったのかな?
私はあの流れで追っては行かないと思うの。

追うとしたら、すぐに追いそうですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
私の想像では、アレックスを傷付けてしまったことへの自責の念やムシャクシャした気持ちでバイクをかっ飛ばしたら事故にあってしまった…ということだと思った。会いに行ったとは思いにくいなあ。
ダヴィド役のバンジャマン・ヴォワザンは、インタビューで自殺なんじゃないかと言っていました。でも、ただの自殺ではなく、もっと含みのある、何かが弾けて起こったことだって。
でも私も自殺とは違うかなって思います。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ダヴィドは享楽的なところがあるでしょう?
元々、無茶な運転をするようなところもありますしね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうそう、いつかは…って感じはしたもの。

 
 

ダヴィドが亡くなった後に、ケイトが話しかけにくるシーンが好きでした。
アレックスにとって、ケイトはある意味憎むべき存在であるし、お前のせいでふたりの仲は悪くなったくらいに思っているはずなのに、いがみ合うでもなく、ダヴィドとの思い出を共有する。そんな存在である彼女にしか話せないというのが、とても切ない。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
誰かが死んでしまった時は、何でもいいから思い出を共有したいものなのよね。失った人を感じたいのだと思うし、彼を知っている人なら誰でもいいという部分はあったかもしれない。
路子
路子
ケイトがアレックスにしたキスの意味は何だと思う?

友達のキスっていう感じではなかったですよね。
あれがイギリス風の友達キスなんですか?
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
あんなにぶちゅっとはしないでしょ(笑)。
ハグでもいい場面でキスをしたから、あのへんも複雑な心境だったのかな…喪失ゆえの感情の動きだったのかな。

 

 
路子
路子
ラストシーンでは、アレックスの立ち位置がダヴィド側になっていたね。
誘い方とか、すでに手慣れた感じがした。

ダヴィドとの恋で学んだことを応用して、これからどんどん遊んでいく感じがしますね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ダヴィドやっぱり無駄死にじゃない!!
かわいそうよー。不憫で仕方ない。
ダヴィドの母親だって、夫を亡くした上に、息子まで亡くして、ボロボロよ。
これから精神を病んでいくわよね。

元から病んでいる感じなのに。
りきマルソー
りきマルソー

 

 
アレックスは書くことで、ダヴィドとの経験を蘇らせましたよね。
思い出を振り返りながら書くことに対して苦しいとも思っていないし、むしろノリに乗っている感じがしました。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
すごく楽しそうに書いていた。
自分の苦しい体験を書くとなると、その当時のことを思い出さなければならないので、苦しい思いをしながら書くのかなって思っていたのですが…路子さんが『女神 ミューズ 』を書いたときはどうでしたか?
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
アレックスの場合は、多少盛っているにせよ、自分の体験を元に書いている。私の場合は、小説の前半部分の方が楽しい気持ちで書いていたし、書きたくてたまらないという気持ちはアレックスに似ていたかも。
路子
路子
10年後に書いた時は、自分の中でケリをつけるために書いてた。
私が前半部分にさらに後半部分を足して書き上げたのは、自分がこちらの道を選んだことによって、本当はこうあり得たかもしれない人生を形にして、未練を断ち切りたかった。書くことで次に進みたかったのね。
だからトーンを揃えるのが、結構大変だった。

その何年かで気持ちの差がありますもんね。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
そうそう。
トーンを揃えるために、ビストロ・エジェリでのレティシアとの会話を入れて、回想という形にしたの。

 

 
路子
路子
アレックスは先生に勧められて処女作を書き始めたけれど、映画を観る前にふたりで話したカポーティのように、すでに物書きの変な業みたいなものを持っているなと思った。
路子
路子
カポーティーは「冷血」を書くために、殺人事件を起こした犯人と仲良くなったけれど、友情という気持ちのほかに、作品を書き上げたいから早く死刑になってほしい、という気持ちもあって、どちらも真実だったのだと思う。
本当は半狂乱になって当然の状況なのに、書き上げたいという気持ちが強く、ウキウキ感さえあるところに、物書きの残酷さを感じる。

小説を書く前は、ダヴィドの死体にしがみ付いたり、お墓の土を夢中で掘り返したりしてますもんね。
そのエネルギーが小説を書く方に向いたということですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
書くことを始めてからは、そんなことをしている自分すらもネタとして楽しんでいるのが恐ろしい。
だから余計ダヴィドが不憫(笑)。
口論のシーンだけを見れば、遊び人のダヴィドがアレックスを振りました、という図式だけど、実は全然違う。アレックスみたいなタイプは強いわよ。
その時は悲嘆に暮れて半狂乱になったりするけど、体験すらもガッツリ、モト取ります! みたいなタイプ。
新しい恋の予感も感じさせるけれど、アレックスは物を書く喜びを知ってしまったから、多分彼との恋愛もネタにして書くと思う。あの彼も不憫になっちゃう(笑)。
作家の性ですね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
性というより、やっぱり業よ。性よりも、もっといやらしい感じ。

 

~今回の映画~
『Summer of 85』 2020年 フランス
監督:フランソワ・オゾン
出演:フェリックス・ルフェーヴル/バンジャマン・ヴォワザン/
ヴァレリア・ブルーニ・デデスキ/メルヴィル・プポー/イザベル・ナンティ

-ゆかいな仲間たち, よいこの映画時間