ゆかいな仲間たち よいこの映画時間

◎22本目「ハッピーエンド」

ご無沙汰しております。
如何お過ごしでしょうか。
長らくストップさせてしまった「よいこの映画時間」。
22本目はミヒャエル・ハネケ監督の「ハッピーエンド」です。
余り精神状態が良くなかった私にとって、辛い映画であり、辛い対談でしたが、それ以上に気付きがありました。
書き終えた後、素晴らしい映画に出逢えた事に喜びを覚え、路子さんと話した事が実は人生の中で重要な会話だったのだと改めて思いました。
読む事で、何を想いますか?

り:ハネケ映画って観ますか? 観た事ありますか?

み:「ピアニスト」でかなり衝撃を受けた。凄く変態チックなユペール。観た?

り:勿論!「8人の女たち」と「ピアニスト」でユペール好きになりましたから。「愛、アムール」は観ました?

み:観たみた。凄く良かった。

り:今回の「ハッピーエンド」は、一部で「愛、アムール」の続きって言われてますね。おじいさんも娘も同じ役者で、妻の首を絞めて殺したって話も同じだから。

み:たしかにユペールが娘役だったものね。

り:だいたいハネケ映画って胸糞悪かったり、うわあ…っていう終わり方が多いですが、今回は胸糞悪さを感じませんでした。

み:「ハッピーエンド」というタイトルに何故したのか。それにしても見せるわね。緊張感が途切れない。

り:いつもの作品よりは楽に観られた気もします。ハネケ映画は淡々と進んでいきますよね。

み:世の中で変態・残酷だと言われる事が、日常的に行われていく。説明をあえてせず想像させる。セリフが聞こえないような遠くからの映像も多かった。ちゃんと観る気でいないと、監督の意図が分からなくなってしまうから、緊張しながら観てた。ストーリー的には凄いわよね。親が離婚して、母親がうつ病で、12歳の女の子が母親を殺してしまう。

り:殺すつもりはなかったのかもしれないけれど、結果的にはそうなってしまった。

み:静かに生活したいっていうだけでね。コクトーの「恐るべき子供たち」みたいな、思春期の子どもの残酷性を際立たせた感じはするけれど、女の子 エヴ(ファンティーヌ・アルドゥアン)がとても良かった。凄い存在感。

り:その残酷性におじいさん ジョルジュ・ロラン(ジャン=ルイ・トランティニャン)が何か共鳴したんですよね。近しいものを感じていた。


み:そうそう。何か自分と同じものを感じていた。エヴとジョルジュが薬の話をしている時に、彼女ははぐらかすような事を言っているけれど、ジョルジュは母親に薬を飲ませた事も知っていたような気がする。だから薬の質問は、エヴの自殺未遂に向けられたのか、母親に飲ませたのか、どちらに対してかなって思って観ていたの。(注:エヴは母親に薬を飲ませて結局母親は死に至る。また、自分でも薬で自殺未遂をはかっている)

り:何処で悟ったと思いますか? 友達に薬を飲ませたっていう臨海学校の話は、実はお母さんの事を言っていると思っていたのですが。

み:お母さんの話をそうやって告白したのかしら。

り:その話をしている時にジョルジュが笑いますよね。だから全てお見通しな気がして。

み:そうよね。

み:エヴの性格・性質って、元々のものなのかしら。それとも環境によってかしら。もちろん両方が関係しているとは思うのだけれど、どちらの方が大きいと思う?

り:私は環境の方が大きいと思いました。今回テーマの一つとしてSNSが使われていましたが、今って良い事ばかりでなはく事故や残酷な事も、写真や動画を撮ってアップするしますよね。昔だったらSNSも無かったのでそんな事は少なかったけれど、自分の周りで起った事を何でも撮影して投稿するのが当たり前になってきてる。だから最後のシーンでも、ジョルジュが車いすで海に入って行くのを、エヴが淡々と携帯で撮影していますけど、エヴは何も考えてないような気がする。あくまでも記録として撮影しているというか、いつも投稿している時の気分と変わらない気持ちだと思います。大変だ!という気持ちより、習慣的な動作に近い。それが当たり前みたいな。


り:あとは母親との生活。私も母がうつ病だった時があるので、共倒れのようになっていく気持ちは分かる。うるさいっていう気持ちも分かる。その生活で自分が変化していく感じもよく分かる。もちろん元からっていうのはあるけれど、どれがというよりは、こういった事の積み重ねなのかなって思います。

み:母親に薬を飲ませる前にハムスターを実験台にしたりするような残酷性は持ってるわね。エヴは自殺未遂したけれど、本当に死のうと思ったのかしら。あれはちょっとためらいがあったのよね?

み・り:父親を試す。

り:いまいちそこは明確にはなっていないけれど。

み:大人が許せないのね。

り:自分を見て欲しいっていうのは本心だと思います。

み:父親のチャット、愛人との痴話チャットを見たりするのって、自傷行為に近いと思うの。

り:わざと見て、自分自身の心に傷を負うって事ですか?

み:うん。親子が一つのテーマよね。

り:親子、家族。

み:イザベル・ユペールは、ピエール・ロラン(フランツ・ロゴフスキ)に気持ち悪いくらい干渉する母親 アンヌ・ロランを演じてるけれど、あれって一人息子なのよね??

り:たしかそうですよね。

み:赤ちゃんが犠牲にならなくて良かった。それだったらかなりきついもの。

り:それをやったら普通の映画ですよね。そこでやらないのがハネケって感じがします(笑)

み:やるんじゃないかって思わせておいて(笑)


み:海に入っていったジョルジュは、死ぬ事が出来たと思う?

り:あのまま死ねなかったら生き地獄じゃないですか?

み:でも本当に死ぬ気なら、いくらでも死ねると思うの。ナイフで自分の身体を切って出血多量でとか。だから死ぬってとても勇気がいる事なんだって。彼の場合、明確な死の理由が無いから、抱いているのは漠然とした絶望と倦怠でしょう?

り:死ぬっていうのに勇気がいるっていう話ですが、一人でするにはあと一押しが足りなかったという事ですよね? 誰かの手を使ってとか、誰かに手伝ってもらわないと、その一歩が踏み出せない。

み:そうそう。きっかけがないと一歩を踏み出せないの。だから彼にとって死というものは、今すぐ必要なものではないのよ。ただ何となく「ああ死にたいな」という感じ。もしかしたら本当は死にたくないのかもしれない。

り:それこそ自傷行為みたいなものですか?

み:そうそうそう。周りの注意を引きたいというか。退屈な人生に刺激を与えたい、みたいな。すぐに死にたいのなら、海であんなに留まってないと思うの。

り:確かに。

み:多分エヴは手伝ってくれるし、そのままにしてくれるだろうと思っているだろうけど。


り:死にたいって思う時と、死を選んだ時の境って何ですかね。

み:電車の飛び込みとか、手首切ったり、今終わらせたいっていう死が多いと思うの。今が嫌な状態。今を無しにしたいから死にたいっていう衝動。追い詰められて、訳が分からなくなって衝動的に死を選ぶっていうのが一つ。太宰治の計画的な自殺みたいなものとも違う。ジョルジュに関しては、そこまで追い詰められているという感じはしないの。

り:それは年齢もあると思いますか? 待っていれば死がやってくる年齢だけれども。

み:高齢になって、退屈な生活に倦んでいるの、我慢できないほどに。

り:幽閉されているみたいって言ってましたね。

み:やっぱり退屈じゃない状態にしたくて事件を起こしているのかもしれない。構って欲しいっていうのもあるのかもしれないわね。

り:自傷行為っていうのは、構って欲しいからするっていう場合もあるんでしたっけ?

み:うん。こんなに傷付けているのはあなたのせいよ、っていうのを見せつける為のパターンもある。その対象は親だったり、恋人だったり。あとは自分を痛めつける事で、自分に罰を与えてるパターン。映画では両方の意味があったように思えるの。存在を認めて欲しいっていうのがあったのかな。


み:ユペールが演じるアンヌの役柄はどう思った? あの中では一番まともに見えたけれど。

り:経営もして、子どももいて、パートナーもいて。

み:ソツなく対外的にも接する事が出来る。どういう役割で登場した人なのかしら。

り:家族のサンプル的存在ですかね。全員変だったら目立たないけれど、その中に少しまともな存在がいるから、それぞれが際立って見えてくる。

み:ああ、そういう事かあ。 私はパートナーを見て、彼女は全部を自分のコントロール下に置くのが好きなんだなって思った。

り:息子を含め。

み:そうそう。

り:トマ(マチュー・カソヴィッツ)のチャットシーンは、「ピアニスト」を思い出しちゃいました。

み:そうね。

り:「ピアニスト」は元々原作がありますけど、近しい。

み:近しい。

り:私を…

み:「おもちゃにしてっ」ていうシーンね。あれは私も「ピアニスト」を思い出しちゃったの。だからちょっとめちゃめちゃになっちゃうのよね。

り:そうそう。いろんな映画の集合みたいで。

み:この相手はユペールじゃないわよね?って(笑) ハネケの嗜好が見えるわね。

り:あんまり色々な事を細かくつっついたりしていないですよね。それこそトマのチャット相手の事とか。あの相手って、音楽家の女性ですよね?

み:やっぱりそう?

り:その事もそうだし、マンションの下で殴られたシーンも、なんとなくは想像出来るけど、ちゃんとした答えは分からない。

み:あれって最初の事故の犠牲者の家族に会いに行ったのかしら? 示談のシーンに、殴ってた人が出ていたものね。説明がされないから本当に不親切だし、自分の映画のファンを信頼しすぎよ(笑)

り:でもそれがハネケって感じ(笑)

み:そうそうそう(笑)どこまで理解出来ているのか、挑戦状を叩きつけられている気分。だからこそ集中して観ちゃう。


み:やっぱりエヴの存在感が凄かった。彼女のまなざしも。役者として凄かったし、不気味だったもの。何かやらかすとしたら彼女だから、彼女がいなかったらこんなにドキドキしなかったと思う。

り:激しい感情を表に出すっていうのがほとんど無かったですね。

み:1回泣いただけで、それ以外はほとんど無表情。

り:でもやっぱりハネケの映画にしては、うわぁうわぁっていう感じが少なかった。

み:穏やかな?

り:穏やかな??(笑)

み:これを穏やかと言ってしまうハネケって(笑)でも「愛、アムール」の方が穏やかというか、しっとりしてる。

り:私はそちらの方が苦しかったです。


り:もしかしたら今、今日の映画に近しいものを感じているのかもしれないです。

み:どこに一番近しいの?

り:自殺とか死に。

み:さっきも自傷行為について聞いてたわね。周りの人で?自分?

り:興味があるというとおかしいですけど、やっぱり根にはそういうものを持っている感じは自分の中にありますね。柳美里のエッセイで「自殺」という本があるんですけど、私はその本があるからこそ自殺をしない。でも自分の自殺のきっかけにもなる本だと思ってます。だから自分に組み込まれてるというか…。

み:組み込まれてると思う。自分にはそういうものがあるから、それに対する恐れもある。興味があるっていうのとは違うかもしれないけれど、知りたいんだと思う。

り:「愛、アムール」に関しては、自殺ではなく殺人の話だから、すっきりとした気分では観られませんでした。でも殺人で云々というよりは、愛についてもやもやしました。当時の私はこの映画に対して「愛は甘美なだけではない。愛は苦しい。その苦しい愛をこれでもかと見せつけられ、とても心地よい感じでは観られない。」って書いています。幸せなだけが愛ではないって思ったのを覚えています。

み:今は自殺したいなっていう瞬間はあるの?

り:ありますよ。割とちょこちょこやってくる。

み:死にたいなって思うのは、嫌な事があって?

り:そういう時もありますし、日々色々な事を考えるのに疲れてしまって、この先そういう風に考え続けたくないなっていう時に。

み:私も気質が変わらないから、どんなに幸せな時でも何かのきっかけでポトンと落ちる。そうすると、全部終わりにしたいなって今でも思うの。その時は気力も無いし、未来に何も感じられない。考えることに、とことん疲れてる。でもある時期の、死が近くにあって死なないように気をつけていた時に比べれば少ないけれど…。

り:私はあと2、3年くらいで終わると思っているんですけど、ここ最近本当によくそう思っています。

み:その間に何するの?? そのタイマー設定は何かしらね。

り:2、3年以内ならいつでも良いです。

み:それ以上は嫌?

り:それ以上はあまり考えたくないですね。

み:その気持ちは凄い良く分かる。だけど、タイミング悪く死ぬ事が出来ず生き延びちゃってる私がいるでしょう?

り:(笑)

み:私の場合は娘がいるからどうしても死ぬ事は出来なかった。彼女がいなかったら軽井沢で死んでいたと思う。哲学的な思想って、深めていけば深めていく程、死と近くなっていくの。そんな映画や小説、音楽に触れたりしていくと、死は怖くはないし終わらせたいなっていう気持ちが強くなったけれど、娘がいたから出来ないし、しちゃいけないと思ってた。あの頃は今のりきちゃんと同じような感じだった。それから色々あって40代半ばからの数年も危なかった。衝動が突き上げてくるのが怖かった。何度かほんとに危なかった。人生って元々持っている気質もあるけれど、年齢的なものによって際どいシーズンというものがあると思う。サガンも自殺したいって想いのあった人だけど、でも彼女の哲学としては、自殺は残された人達に凄い責務を負わせるから非常に身勝手でわがままな行為、と言っている。まあ、私もそれには賛成だけど、でも、やっぱり、ジョルジュみたいに、死にたいって言う人を否定出来ないのよね。

り:一般的には自殺はダメだという傾向にある。肯定という訳では無いですが…死にたいんだよねって誰かに言われたとしたら、そういう道もあるよね、としか言えない。高校・大学生ぐらいの時は絶対に自殺なんてダメだって思っていました。友人が自殺未遂を起こした時も、有り得ないと思っていたし、そんな事する奴とは縁を切るとか言ったりして。

み:それがどうして今の考えに変わったの?

り:やっぱり柳美里の「自殺」を読んだからだと思います。その選択もありなのかなって。

み:ヴィクトール・フランクルは「人生に意味なんか無いし、意義もない。生きるということは、ある意味、義務なんだ、人間にとってのたったひとつの重大な責務なんだ」って言ってるの。何のために生きているんだろうって思う事あるでしょう? 人生に何の意味があるんだろうって思っている時にそれを読んだから、「それが責務」であるのなら、ちょっと気が楽だなって思えた。あとは、瀬戸内寂聴の本だったと思うけれど、人間には定命という、生まれる時に定められた寿命がある、というのも響いた時があったな。それがある間は生きるのか、って。そういうのが支えになったの。坂口安吾は、「死ぬ事はいつでも出来る。いつでも出来る事なんてやるもんじゃない」って言ってたかな。


り:私、今日の映画を観て、映画の登場人物が代わりに自殺してくれたっていう気分もあったんだと思います。だから清々しい気分になれたのかな。

み:ああ、分かる! その気分は分かるわ。

り:松井冬子という画家が「浄相の持続」という作品の説明で、作品の中の女性が代わりにやってくれる事で踏みとどまる。端的に言えば厄払いにもなると言っているんです。彼女のテーマの一つとして、痛覚や感情を可視化する事でそういった感情を共感させるというのがあるのですが、正にそんな感じでした。

み:要するに、浄化作用、カタルシスがあるのね。私は「めぐりあう時間たち」を延々と流していた時があって、ヴァージニア・ウルフが入水自殺をするシーンに自分の中身を全て入れていたの。だから何度も観て何度も彼女が死ぬ事によって、自分は死なないというカタルシスを得ていた。茨木のり子は、「カタルシスをもたらすものが芸術というものだ」って言ってる。そういう意味では、りきちゃんに清々しい気分をもたらした今回の映画は、素晴らしい芸術作品だったのではないでしょうか。

~今回の映画~
「ハッピーエンド」 2017年 フランス
監督:ミヒャエル・ハネケ
出演:イザベル・ユペール/ジャン=ルイ・トランティニャン/マチュー・カソヴィッツ/トビー・ジョーンズ/フランツ・ロゴフスキ/ローラ・ファーリンデン/ファンティーヌ・アルドゥアン

-ゆかいな仲間たち, よいこの映画時間