特別な物語 私的時間旅行

3.「私は世界に何を還元できるのか」

2020/04/22

[長い黒髪のアーティスト]


その夜、伊藤福紫(イトウフクシ)さんというアーティストに会った。
バルカモニカで無数の岩石画に圧倒され、修平さんを待つバールで佐和子の言葉にノックアウトされた日の夜である。
ああ、なんとなんと濃い一日であることよ。
福紫さんは、長い黒髪が印象的な、アネゴ肌的雰囲気を持つ、きさくな人だった。
広いアトリエには何点かの作品がかけられ、制作中のものが床に置かれている。「日本から取材に」と、私たちを紹介する修平さん。
本当に記事になるのかもわからないのに、と私は少し後ろめたく、それをごまかすために、作品の前の福紫さんを必要以上に撮りまくる。

 

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<伊藤福紫さん。
本当に、かっこよく年齢を重ねている、
(こう言ったら失礼かもしれないけど) 可愛らしい人だった>

 

撮影が終わると、「私の家で食事をしましょう」と福紫さん。

「私の知り合いも呼んであるの。今、たまたまミラノに来ていて。彼女、美術評論やっているから、話、合うと思って」

落ち着いた声音でぽんぽんと跳ねるように喋る福紫さんの、「美術評論」という言葉に私はピクっと反応した。そして、にこにこと「楽しみです!」と言いながらも、心の中で、いいえ、きっとその人とは合いません、合わないと思います、とつぶやいていた。

アトリエを出た私たちは、車でミラノ郊外にある福紫さんのマンションに向った。
案内された彼女の部屋は広くて、そして、とてもとても、素敵だった。
広々とした空間に、無造作に置かれているオブジェ。

ひとつひとつが自己主張を持っていて、聞けばやはり、福紫さんの友人のアーティストたちの作品だった。
私と佐和子はしばらくの間、うわ言のように、かっこいい、かっこよすぎる、住みたい、とぶつぶつ言いながら各部屋をさまよったのであった。

やがて、美術評論家のまどかさんが登場した。
コワイ人だったらどうしよう・・・と、脅えていた私だが、まどかさんを見たとたん、安堵した。
私と同じくらいの年齢で、とても感じの良い女性だったからだ。

美術評論家、と聞くだけで、私はお堅い人を想像してしまう。
自分の興味ある絵だけを取り上げて、好き勝手に感想を述べている私はきっと「美術評論家」とは相容れない関係にある、と思いこんでいるからで、どうしても苦手なのであった。
それに、私は美術を「評論」することに魅力を感じていない。

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<福紫さんの作品
NELLO SPAZIO E TEMPO 1621(空間と時間の中に)」1996
ネオン、和紙にコンピュータードローイング、木、プレキシガラス>

 

 [私はいったい何者なのか]

やがて、ワインが開けられ、福紫さんお手製の料理が大きなテーブルいっぱいに並び、宴が始まった。
メンバーがメンバーだけに、話題の中心はやはり、アートだった。それから、政治や社会の動きについて。

イタリアでは政治について自分の意見を持たない人間は相手にされず、福紫さんはよく、日本の政治について尋ねられるので、ラジオやテレビで情報収集をしているのだそうだ。私なんかより、ずっと詳しかった。
環境問題や民族問題などについても、皆それぞれ自分の言葉で語っていた。
私も精一杯頑張りながら、こころひそかに「日本に帰ったら勉強しなおそうっと」と決心していた。

料理はとても美味しく、ワインもすすんでほろ酔い加減、会話も楽しい。
なのに、私はずっと緊張している。

なんて言ったらいいのだろう。

身体はくねっとして、くつろいでいるのだが、頭は冴え冴えとしている感じ。頭の中で常に自分の意見をまとめ、それを表現する言葉を探している。

こんな緊張感、久しぶりだな。

なんだろう、これ・・・・・・。

おっと。そんなことぼんやりと考えている暇はない。

なぜなら困ったことに、佐和子以外のみんなは、私を美術関係の人間だとみなしていて、さかんに、現在の日本美術についての意見を私に求めるのだった。
私はそのたびに「いえ、私は素人で・・・・・・」というのだが、聞く耳を持ってくれない。

佐和子ももちろん、そのスジの人ではないので、私たち二人を除いた三人、修平さんとまどかさんと福紫さんで、日本の現代美術の動向について熱く語っていた。
そこに登場するアーティストや美術評論家の名を、私はほとんど知らなかった。
改めて思った。

私はいったい何者なのか。

アーティストの取材をしに来た、なんて言いながら、「いえ、私は素人で」が通用するはずない。
彼らの会話についてゆけない私を彼らはどう見ているだろうか。
「どんな風に思われたっていいもんね」という開き直りがある一方で、「ああ、私ってなんて未熟で、半端なんだろう」と激しく落ち込んだりもした。

 

[人間の役目について]

お腹がいっぱいになり、ワインもまわってきて、その日一日の疲れがどっと出てきた。
佐和子を見ると、ワインをくいくい飲んでいる。
強い。
目が少し眠たそうだが、顔色は変わっていない。
なんて強いんだ、と私は感心する。

いつしか三人の話題は「芸術と社会との関わり」に移っていた。
まどかさんは、日本にはアートを受け入れるベースがあまりにも希薄であることを憂い、修平さんは

「これからはアートの時代。今、みんながアートの時代だと言い出したら、そういう方向に行くと思うよ」

と明るく言った。

福紫さんは、ワインのせいか、ずいぶん饒舌になっていた。

「私はね、自分を育ててくれた社会、世界に何を還元できるかが、人間の役目だと思ってるの。その役目を、私は私の中で一番適正であると思う芸術を通して果たせれば、と思うのよ」

反応するだろうな、と思ったら案の定、佐和子が、むくっと身を起こして言った。

「すごいことですねえ。人間の役目、ですかあ。私は何を通じて還元できるのかなあ」

ほとんど、独り言だった。そしてまた再び、頬杖をついて、ワインを飲みはじめた。
その姿に、ああ、彼女は相当眠いのだな、とおかしくなる。

私は福紫さんに尋ねた。

「福紫さんにとって、作品を創るということは何なのですか? 」

福紫さんは、にっこりと笑った(その笑顔を見た瞬間、私はこの人が私のお姉さんだったらよかったのに、と何故か思った。酔っていたからだろうか、けっこう強く希望したのをよく覚えている)。

「あのね、私の現在の課題は、世界レベルで地球崩壊に向っている現状を訴えるというジャーナリズムの役割を超えて、それに立ち向かうポジティブなエネルギーを、作品を通して伝達することなのね。そのためにはまず、自分自身がポジティブでなければならなくて、だから、そのための鍛練が制作行為なの」

私は福紫さんの言葉と真剣な眼差しに、背筋がしゃんとした。
そして、はっとした。
私だったら、こんな時、真面目に語った後で、必ず付け加える。
「なーんてね。言うことだけは大きいんだけど」とかなんとか。

ああ、そうか。
さっきから感じていた緊張感はこれだった。
ここにいる人たちは、みんな真剣になることに照れていない。
ちゃかさない。ごまかさない。逃げ道を用意しない。
それはなんて潔く、充実した時間を生み出すことか。

福紫さんは私の目を見てさらに続けた。

「そうね、私が作品を作ることは人生の探求、探求のための修行なのね。その時点での自己到達地点が作品に現れて、それをコミュニケーションできれば、最高ね」

[こすもす、歌います]

既に、深夜1時を回っていた。
そろそろ、ということになり、腰を上げかけた時、福紫さんが言った。

「ねえ、何か、歌を歌って」

え? と彼女を見ると私を佐和子を促している。

「どんな歌がいいですか?」

と佐和子がまるでたくさんレパートリーがあるかのように言う。

「なんでもいいの。日本の歌なら」と福紫さん。
私と佐和子は顔を見合わせた。そういわれても・・・・・・である。
しばらくして、私は言った。

「こすもす」

断っておくが、私はさだまさしのファンではない。山口百恵のファンでもない。
だから、どうしてあの時、「秋桜」と言ったのか全く不思議なのである。
それでも佐和子は「うん、いいよ」と言った。

おそらく激しい眠気に襲われている彼女にとって、何を歌うかなどどうでもよかったのだと思う。

うすべにのこすもすがあきのひの〜

途中何度も間違え、つっかえた。
それなのに、福紫さんは目を細めながら聴いていてくれる。

それにしても、ミラノで、夜中、酔っ払って「秋桜」を歌う私と佐和子。
ああ、人生とはなんとコミカルなのか。

まどかさんと修平さんは一緒に口ずさんでいる。
佐和子はほとんど寝ながら、かろうじて歌っている。
私は歌詞に感情移入して、しんみりしている。

ミラノの夜が更けてゆく。

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