◆―◆―◆―4.私の軽井沢、「冬」―◆―◆―◆
2020/04/22
早朝、ペレットストーブの炎がゆれるリビングのカーテンを開けると、青味を帯びた薄闇のなか、枝ばかりになった木々が仄白く浮かび上がっていて、その光景に、いつでも胸をつかれます。
樹氷というほどではないけれど、氷の粒子を身にまとった細い木々の枝は透きとおった毛細血管のようで、なにか厳かな美しさがあるのです。
軽井沢が、「氷の町」と化す季節がやってきました。
雪の町、ではないところがポイントです。
軽井沢移住を検討しているとき、とある不動産屋の男性はおっしゃいました。
「量は東京よりも多いかもしれませんが、降る回数はそれほど変わりませんよ」
事象の捉え方はひとそれぞれの感性に委ねられるのだ、と痛感する出来事でしたが、「雪国」と言うほどに降らないのは事実で、けれど気温がすごく低いものだから、いったん降った雪はなかなか溶けない。
私は寒がりなので、軽井沢の冬は厳しいと思います。ほんとうに、氷の粒子が頬を突き刺すような空気です。
それでも五度目の冬ともなれば、その厳しさにも、子どもたちがスキーウエアを着用して登園登校する光景にも、朝晩十五分前に車を溶かすためにエンジンをかけることにも、慣れました。
さて、「氷の町」には観光客も別荘族も近寄りません。よって、生息しているのは定住者だけ、冬季休業に入るお店も多く、町は息をとめてしまったかのようにひっそりと静まりかえっています。
夏をはじめ他の季節とのギャップに、どんよりと退屈病にかかったり、なんとなしに落ち込むひともいるようです。
けれど私にとっては、このギャップがたまらない。毎年のことながら「ほんとうにおもしろい、飽きないなあ」と思うのです。
私は、多様性に富んだ男性が好きで、それが複雑であればあるほどに惹かれてしまう傾向がある(しばしばはまりこんで痛い想いをしていますが懲りない)ので、そういう意味でも、軽井沢という町は私の好みに合っているのでしょう。
そして、恋愛中には、とつじょとして、「ああ、このひとが好きだ」と強烈に想って息が止まるような瞬間があります。同じような現象が、軽井沢に対しても起こります。
二年前に妹一家が移住してきて、我が家から車で五分の距離に住んでいます。その妹の家からの帰り道のことです。
濃紺の夜空に薄氷のような三日月が浮かんでいました。助手席の娘が「うわあ、今日のも綺麗だよ、ねえ、もっと月を見ていたいから遠回りして」と言いました。私は月が見える方向に向かって車を走らせました。
「そんな寒くないよ、マイナス六度だって」
軽井沢町役場前の電光気温表示を見て娘がつぶやくように言いました。
別荘地を抜けてゆくことにしました。すこし窓を開けると、すうっと氷のような風が入ってきます。
「気持ちいいね」と娘が言いました。車を停めて、しばらく月を眺めることにしました。
身を乗り出して夜空を見上げた娘が、「今日の月は昨日のより白いね」と言いました。
儚い様子なのに冷酷な強さを持っている女のような月だと思いました。早朝の、白く透明に凍った木の枝に似た美しさがありました。
夜の底のような別荘地、そして娘の存在という温もりと合わせて私は瞬間、ああ、この地が好きだ、と強烈な想いにとらわれました。