MODEな軽井沢 特別な物語

◆アール・ヌーヴォーなひととき◆2009.6.22

2020/04/22

ひと月くらいかけて、我が家の二階を整理しました。
徹底的にやってみると、家のなかに、いかに不用なものが多いのか思い知らされて、なんだかひどく苛つきます。
本関係もそうです。本棚に入りきるだけの本を持とうと決めているので、思いきって処分することにしました。
疲れる作業です。ですから、ここひと月くらいの間、家での私は、ご機嫌麗しくなかったに違いありません。
それでも、よいこともあって、その整理のさなかに、奥の方からいくつか「あ。改めて読みたい!」と心浮き立つような本や雑誌を発見することがあります。

「季刊 装飾デザイン9」(1984年発行)もその一冊です。

「アール・ヌーヴォーの装飾」をテーマにしていて、吐息とともにページを繰りました。

まずは、最初のページの、
「東京のアール・ヌーヴォー。銀座の真中に、本場パリの「マキシム」を再現したレストランがある。内部はアール・ヌーヴォー・スタイルの優雅な装飾だ」
のくだりを読んで、銀座、マキシムへの想いに、しばしぼんやりしてから、進みます。

さて。
アール・ヌーヴォー。直訳すれば「新しい芸術」。19世紀末のヨーロッパで大流行した、花や植物を優美な曲線でデザインした装飾芸術のことです。

インテリアも好きだし(↓)

それに、ファッションも好みです。コルセットでぎゅうぎゅうに絞り上げていた時代ですが、こんな素敵なドレス(↓)を着るためなら、私、絞り上げられてもいい、と思います。

こちらは室内着(↓)です。優雅にならざるを得ない衣装です。言葉遣いだって変わってくること間違いありません。

ひたっているうちに、アール・ヌーヴォーを代表するチェコの画家、アルフォンス・ミュシャが大好きだった、あるひとのことを思い出しました。
彼は、「ミュシャが描く女性が好みだ」と、目を細めて言っていました。当時、42歳でした。私は20代の半ば、ミュシャの絵を眺めては、美しい女性と自分自身の間に存在する格差に、落ち込んでいたものです。
だって、これですもの。(↓)

ミュシャの画集を眺めたのも、久しぶりです。

・・・しんみり・・・。

この時代には、たしかに「美」というものに対する人々の憧れ、想いが強く、ありました。
次にくる「アール・デコ」(次週にとりあげる予定です)もそうです。
もちろん、現代と同じように、これらの時代も、奇抜さや、目新しさといったものを、あらゆる分野のクリエイターたちは狙っていたと思います。
そう。そこは現代と同じなのです。けれど、何かが違う。
奇抜さや目新しさもゆきすぎれば「醜」をまとってしまう。これを感じ取れるか取れないか、ここがポイントではないかと思うのです。

「泣いても落ちない」のが売りのマスカラを、説明書き通りにためして、家族に、「うわあっ、いまふうの、若い女の子みたいな目だ……なんか……へん……」といった趣旨の感想をもらった私には、「ゆきすぎ」や「醜」について、言う権利はありませんが、でも、やはり、思うくらいは思っておこうと思います。

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