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◾️「タンゴの真実」がもたらしたもの

2023/11/30

 

 いつか読んだほうがいいんだろうな、と感じながらもそのままにしていた本を先日、読んだ。

 きっかけは、タンゴのミュージシャンの方と話す機会を得て、お会いする前に多少なりともタンゴの音楽についての、楽器についての、基本的な知識みたいなものを得ておかないと失礼だろう、と思ったことだ。不勉強すぎることは顔が真っ赤になるほどに自覚しているので。

 バンドネオン奏者の小松亮太による「タンゴの真実」。

 一日がかりで読み切った。これをどうしても言いたい、という著者の想いが、ちょっと身を引いてしまうほどに伝わってくる一冊だった。

 音楽ジャンルとしてのタンゴがほかのジャンルと比較して、軽く、下に見られていることへの想い、バントネオンという楽器への想い、どのページにもぎっしりとこめられている。

 そして、どれほど多くの資料と多くの時間がこの本のために存在しているかも、よくわかった。たいへんだったろうなあ。

 途中、佐藤芳明サマと桑山哲也サマというふたりの大好きなアコーディオン奏者の写真が! きゃあ、と声をあげてしまった。

 

 内容については書かないけれど、読み終えて、つくづく感じたことは、私のような、タンゴという踊りに魅せられている者からしてみると、同じ「タンゴ」なのに、まるで別世界のようだったということだ。知っている楽曲の名、演奏者、作曲家の名は出てくる。でも、まるで別世界なのだ。著者は演奏者であって、タンゴを踊らない。だから当然といえば当然なのかもしれないけれど。

 踊り手をまったく無視することもできないから、途中、踊り手の人との対談が挿入されているけれど、その対談を読んで、そうなのか、演奏する側って、ほんとうにフロアのことを知らないか興味がないか、そういう人が多いんだなあ、と感じた。

 ほんとうはみんな、ミロンガ(タンゴのダンスパーティーみたいなの)なんかで演奏するよりも、大きなコンサートホールで踊り手なしでの演奏を披露したいんだなあ、とも感じた。

 私はライブミロンガが好きだけれど、演奏する人たちが、フロアの人たちは別にどうでもいいや、とか、見ないようにしよう萎えるから、とか思っていたらなんだか悲しいなあ、とも感じた。本にはそんなことは書いてないのにね。

 踊っているときは、「見る」ことはできないけれど、ものすごく集中して、彼らの奏でる音にどっぷりからむようにまみれる。あの集中は、もしかしたら、踊らないで聴いているときよりも、強いかもしれないんだけどなあ…そんなことをつらつらと思う。

 読みながら、これは私のような読者を想定していない、とは感じていたけれど、ラストの四行で、やはりそうよね、と思った。

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自戒を込めて言おう。やはり僕たちバンドネオン奏者は、もっともっと競争の激しい一般的な楽器のプレイヤーの苦労を認識しておくべきなのだ。全世界のバンドネオン奏者を目指す若人諸君。先を急ぐな。ピアソラの楽器ということだけでチヤホヤされたら恥と思え。リベルタンゴもアディオス・ノニーノも君の将来を守ってくれはしない。

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 日本人の若い世代のバンドネオン奏者に向けての言葉で終わっている。いったい何人いるのだろう、そんなことも思った。

 そして、その翌日だったかな、翌々日だったかな、いつも楽しみにしているミロンガに出かけた。四ツ谷のタンゴバー、シンルンボで開催されている「Switch」という名のミロンガだ。

 その夜は、不思議なエナジーに満ちていた。私自身が、自分にしかわからない程度で。

 私は躍ることで、タンゴと、タンゴの音楽と、向き合い、酔いしれ、創造する。みたいなエナジーで体が熱かった。

 摩擦による熱だったかもしれない。本を読みながら考え、意義を唱え、自分の意見を呟いていたあの読書体験は、たしかに私に熱をもたらしたのだ。

 タンゴの真実。

 名探偵のコナンくんは「真実はいつもひとつ!」と言っているけれど、私は違って、真実は、事実と異なり、人の数だけあると思っているの。

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