●もっと知りたいアナイス アナイス・ニンという生き方

◆アナイス 杉崎和子(『エロス幻論』付録の水色の小冊子)

2017/02/20

■アナイス 杉崎和子■

  日本語の「縁」とは、英語で何といえばいいのか、何十年も英語をやっていて、いまだにわからない。Destinyとか fateとかを当て嵌めても、全然ピンとこない。「縁」をたとえば、アメリカ人に、正確に説明しようとすると、日本の文化、日本人の精神構造を古代にまで遡って分析する羽目になるかもしれない。が、日本人同士なら「ご縁があったんですねえ!」とか言って頷き合い、それで万事了解である。アナイス・ニンと私との出会いを、私の方はそう解釈しているし、アナイスに紹介されて中田耕治先生の知遇を得たことも、しかりである。その「縁」のお陰で私の人生は、全く様変わりしてしまった。

 先生の事を「うちの翻訳の方の親方が……」と私は人前で話す。翻訳などは、先生のやたらに広い活動範囲からすれば、ほんの一部に過ぎないことはわかっているが、当方は翻訳しかしないのだから、「小説の方の」とも「批評の方の」とも言えないのである。しかし、この場合肝心なのは親方というところだ。親方とは、ルネッサンスの歴史を彩る傭兵隊長のように、清濁あわせ飲む太っ腹な人間でなければならない。面倒見のよい人間でもある。また、常に天下を睥睨し、時期に応じて適切な判断を下し、必要とあらば、即実行に移せる才能の持ち主である。要するに、私にとって、中田先生とは、戦国乱世を生きぬいてきたそういう凄いコンドッティエーレ的人間なのである。

 その中田先生の先見性に、私より一足早く取り込まれていたのがアナイス・ニンだった。二十数年前、ようやくアメリカで注目を浴びだした頃である。彼女は、早速、小説『愛の家のスパイ』を邦訳してもらい、第一巻が出たばかりの「日記」について、恐ろしい洞察力と先見の明にみちた論評を書いてもらい、日本に招待され、当時の錚々たる若き文学者たちと対談させてもらっている。なんと、凄い面倒見のよさではないか。

 今日、出版されているアナイス・ニンの「日記」は映画化された『ヘンリー&ジューン』、昨年秋に出た『インセスト』を含めて十三巻。その他、小説、エロチカ、評論、講演集など、多数。文学的名声は確立して久しい。アメリカにおける『インセスト』の書評はこもごもだが、最近「ニューヨーク・タイムス」と『ニューヨーカー』に載った女性による三つの書評は、相当なアンチ・アナイスであった。ナルシズムにはうんざりだ、という黴の生えた不平。三万五千ページ日記の嘘の中の最大の嘘は、自分を芸術家だと言い張ることだ、けしからん、という嘘悪説。個人のプライベートな日記の何たるかを、これら批評家はほとんど理解していないようだ。公開するつもりもない日記の中で書き手が「自分こそ世界一の芸術家だ!」と叫んで、どこが悪いのか。わが中田氏ならば「アナイスにあっては(中略)自己についての空想が『真の自己』になり、救済になっているといえよう」(『本の手帖』一九六六年七月号)と、とっくの昔に見極めている。

 アナイスのような数奇な運命を生きた女、男性遍歴を繰り返した女は数多いかもしれない。だが、その生きざまを文学・芸術と心理分析への情熱を軸にして、とことん記録し続けた女性が、ほかにいるだろうか。そこが、アナイスのなんとも凄いところなのだ。

  いま、私はひたすら、凄い、を連発している。私は連城三紀彦の作品を訳しているのだが、中田先生はどうせなら凄い筒井康隆の作品を英訳してはどうか、とおっしゃる。凄いとは、一体どういうことなのか。恐ろしい、気味が悪い、恐ろしいほど優れている、程度がはなはだしい、などと辞書にはある。まあ、その通りではあるが、私はそれに「限りない優しさに裏打ちされての」という注を勝手につけて解釈している。自分をも含めて人間全体のためを思う優しさである。アナイスの、中田耕治氏の凄さとは、そういうことなのだと思う。が、凄い人はほかにもいる、コレクション(全集ではないらしい)の各巻に解説を書いておられる澤名恭一郎氏は中田先生の書かれたもの総てを収集されていたとか。それをドスンと机の上に置かれて、コレクションを出そうと青弓社の矢野さんは決断されたと言う。「中田耕治コレクション」というへんぽんたる旌旗をひるがえしてジャーナリズムの世界を疾駆するこういう凄い人たちもまた、私にとってはルネサンス的英雄なのである。

(名城大学教授、翻訳家、アナイス・ニン財団理事) 

『中田耕治コレクション4 エロス幻論』一九九四年 青弓社 

付属の水色の冊子

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