●もっと知りたいアナイス アナイス・ニンという生き方

◆杉崎和子「ヴィーナスの戯れ あとがきにかえて」

2017/02/20

あとがきにかえて

ヘンリー・ミラーとアナイス・ニンとの四十年にもわたる個人的・文学的交遊はあまりにも有名だが、最近、ミラー氏との対談の途中、アナイスに話が及んだとき、「ああ、そうだ、日本といえば面白いことを言っていたな」と、この八十八歳にもなるアメリカの文豪は、世の中にはまか不思議なこともあるもんだと言いたげな顔をした。

アナイスが初めての東洋旅行から帰ってきたばかりのときだったという。

一日、来訪した彼女に、きみはいろいろな国を見てきたし、住みもしたとおもうが、もし、明日からでも、好きなところに行って住めるということになったら、どこを選ぶだろうか、と訊いたところ、たちどころに返ってきた返事は「日本がいい」というものだった、という。

「しかし、考えてみると、彼女のなかには、たてまえと本音みたいな――二重性みたいな――まあ、ある意味では日本的といえそうなものが多分にあったな」とミラー氏はそれなりの解釈をして、一応納得したようであった。

 アナイス・ニンにとって、フランスやアメリカならば住み慣れた国であったろうし、モロッコやバリ島は彼女がしばしば言及しているように、直接魂に訴えかけてくる微妙な魅力を持つ土地であったらしい。しかし、何故日本なのだろうか、とわたしは考えてみた。

 アナイス・ニンが初めて日本を訪れたのは、彼女の小説『愛の家のスパイ』が翻訳出版された一九六六年の夏であり、彼女はすでに六十歳を超していたはずである。しかも、その滞在日数はたかだか二週間にも満たない。にもかかわらず、外交辞令などまったく不要なはずのミラー氏との対話で「日本がいい。日本になら住みたいわ」とほとばしるように彼女に言いきらせたものは、何だったのであろうか。 

「すばらしかったわ! 日本って素敵、日本に恋をしたみたい……」

 九月のある夕暮、わたしたちを招んでくれたアナイスは、ドアが開くなりそう言った。ガラスの壁を透かして部屋に溢れる紫色の光線のなかで、大きな瞳が熱っぽくうるんでいた。日本のどこがそんなに気に入ったのかと訊きたがるわたしに、まるで自分の生まれた国の話でもするように、ひどく自信にみちた口調で彼女は、

「日本には完成された美しさと、しっとりとした静かなおちつきみたいなものが、どこにでもあるでしょう」

と言った。

たとえば庭園がそうだという。雑草もなく、枯れた花も葉もなく、泥んこ道もなく、一木一草、一つの石、水の流れ、すべてが整然とその処を得て配置されている。そのくせ、決して自然を矯めたという感じがしない。

料理がそうだという、皿の上に色とりどり並べられたものは食べ物であるはずなのに、食べるのが惜しい。一つの皿の上に、一つの碗のなかに、無駄も誇張もない完璧な美の世界が出現する。しかも、ほんのつかのまの存在のために。

奈良の古い寺のかぜに、ひっそりと隠れているような小さな店で食事をしたが、そのとき、食事そのものが瞑想的な昼の夢になったという。

女たちがとてもすばらしい、とも言った。西洋の女ならば身動きもままならぬだろうに、袖の長い着物に幅広の帯をしめ、おぼつかなげな下駄をはきながら、蝶のように身軽に、バレーの踊り子のような足捌きで道を歩く。

女たちはどこにでもいるのに、その存在に少しもあつかましさがない。それでいて必要なとき、必要なところにちゃんと姿を現してくれる。

日本の人たちは、とアナイスは言葉をつづけた。それは親切だった。いつも相手の身になって考えてくれている。その思いやりがしみじみ嬉しくて、涙が出てしかたがなかったという。自分はずっとそうしてきたつもりだ。しかし生まれて初めて、相手から、しかも見も知らぬ他人から、そういう接し方をしてもらった……

アナイスなら、そういう印象を持っても不思議はないとわたしは思った。美しい人であった。やさしく優雅な人であった。彼女ならば、わたしたち日本人が外国からの訪問者にみせる、もっとも良い面だけを引き出したことだろう。

たとえば、それは二世や三世の友人たちが日本を旅行して持ち帰る印象とはあきらかに異なってはいたが、日本人をそんなに理想化されては困るとは、わたしは言わなかった。

日本はそんなに美しいばかりの国ではない、とも言わなかった。 

人口過密、公害、インフレに喘ぎながら、その日その日の現実をやり過ごしているような今日のわたしたちからみれば、そのとき、わたしに語られた「日本の印象」はいかにもきれいごとすぎるようでもある。しかし、これが一九六六年の夏、日本を訪れたアナイス・ニンという尋常でない作家の感性に映った日本の、“まぎれもない現実”であった。そしてこれが一つの真実であるということも疑えまい。

そうした“まぎれもない現実”を六十年以上にもわたって連綿と記録しつづけてきたものが、ノート百数十冊にもおよぶ膨大な彼女の日記である。出版されたものは(現在、少女時代の日記『リノート』*を別にして七巻)全体のオリジナル原稿の三分の二ほどに当たる。個人の、特に生存者のプライバシーに関する個書が出版にあたって意識的に除去されているのも、アナイスらしい配慮と言えよう。

ヘンリー・ミラーが聖オーガスチン、ルソー、プルーストなどにも比較したこの『アナイス・ニンの日記』はすでに欧米の文壇に現代の古典ともいえる地位を獲得している。各国語に翻訳され(邦訳は第一巻のみ、一九七四年)、研究書や、論文が相次いで発表される一方、フランスではアナイス・ニン学会が発足し、米国やカナダで演劇化、映画化の試みもみられる。

アナイス・ニンの日記は彼女にとってのまぎれもない現実の記録だと、わたしは言った。しかし、そこにあるものは決して忠実な客観的描写ではない。あくまでもアナイス・ニンという主体の意識に投影された人物像であり、事象である。この透視術をそなえたような主体は、対象を内部的な多面性で捉える。細心に微妙に内部から解剖のメスがあてられる。このメスの動きを導くものは、しかし、理性でも客観的論理でもなく、直感であり、感情の鼓動であり、また執拗な芸術的非妥協の精神である。

次々に果てしもないキャンバスを埋めつづけていく人物像や事象は、したがって、赤裸々でありながら、不思議にしっとりとした内面的光彩を持つ。そしてわたしたちに示されるものは中心の回帰点としてのアナイス自身の生をはじめ、多くの人々の記録であり、と同時に六十余年にもわたる時代の歴史であり、しかも稀有な文学作品としての結晶である。

けだしこの作品が作者にとって「日記」である所以は、その実生活との密接な相互作用にあると思われる。作品のなかに語られる彼女の姿がじっさいの彼女の日常を規制し、彼女の生き方そのものが、芸術的な完成をめざすものとなっていく。

たしかに、わたしの知るアナイスは美しさに厳しい人であった。たとえば、信じがたいことだが、七十歳になってなお、充分に愛の、欲望の対象になり得るほどの、なまめかしい美しさを持った人であった。天性の麗質といってしまえばそれまでだが、たゆまぬ努力、精進がなければ、それが決して可能であるはずはない。

こんど、邦訳された『ヴィーナスの戯れ』(原題『Delta of Venus』は、『日記』や小説群に代表されるアナイスの作家活動からみればいささか余技的なものかもしれない。これらの物語は、著者まえがきにもあるように、一九四〇年頃、ある正体不明のコレクターの要望に応じて、「売るために」書かれたものだったが、幸いなことにアナイスはその原稿のコピーをすべて保存していた。

彼女の『日記』の出版を手がけてきたハーコート・プレイス・ヨハノヴッチ社がこの埋もれたエロチカの噂を聞きつけて、ぜひ出版をと、申しこんできた。が、アナイスはなかなか承知しない。お金のためにだけ書いたものだし、決して良くはない、第一、自分の作品といわれるのも恥ずかしいようなものだ、というのがその理由であった。だが、アナイス担当の編集者ジョン・フェロン氏の時を得た至言がここでものを言った。それは、「もし出版されれば、女性の立場から女性の言葉によって書かれた米国最初のポルノグラフィーになるはずだから」というものであった。

たしかに、とアナイスは言う。男たちと違って、女は性と愛とを分けては考えない。男たちの、時に無差別な、ほとんど動物的な性へのアプローチとはまったく別の型が女の性にはある。愛があり、その愛が特定の一個人に向けられたとき、初めて女にとって性の享楽が可能になる。それはポルノグラフィーーとエロチカとの相違といえるかもしれないが、とすれば、エロチカのための表現もまた、別になければならないだろう。

『ヴィーナスの戯れ』の成功を見ずに、一九七七年の初めアナイスは世を去ったが、彼女が文学的価値を危ぶんだこの作品は、米国のみならずヨーロッパ各国でもベスト・セラ―になり、アナイスの読者層を一気に拡げることになった。なんとなくとりつきにくかった、この少々完全すぎる作家が、急に人びとの身近な存在になったようである。

博士課程の長く困難な学業に必死になって取り組んでいた頃、よくアナイスと話したものであった。そんななかでわたしの考え方決定的に変っていったようである。

もう亡くなってしまったアナイスについて、これからいいたいこと、書きたいこと、してあげたいことは山ほどある。不思議な、しかしどこか運命的な匂いのするこの作家との出逢いは、わたしに一つの大きな生涯の仕事をもたらしたようである。

*一九八五年三月現在「リノート」(第一巻)を含め、「アナイス・ニンの初期の日記」は全三巻。五月には第四巻が発刊される予定である。さらに個人のプライヴァシーの尊重という理由で削除された、幾多の貴重な記録を、活字として復活しようという動きも出はじめている。 

一九八〇年 単行本「デルタ・オブ・ヴィーナス」として刊行されたときのあとがき 

富士見ロマン文庫 DELTA OF VEUNUS アナイス・ニンのエロチカ二部作 ヴィーナスの戯れ 一九八五年三月二十日

-●もっと知りたいアナイス, アナイス・ニンという生き方