◎Tango 私のブエノスアイレス〜タンゴ紀行〜

■私のブエノスアイレス*4■

2018/12/13

 大好きなバンドの生演奏で踊れるなんて、素敵だろうなあ、わくわく。

 しかも、先生いわく「奇跡的なスケジュール、一週間ずれていたら、これはなかった」。

 3日目(Tango Bardo  だーいすき)、4日目(Esteban Morgado だーいすき)、5日目(La Juan D’arienzo だーいすき)。

 だから、2日目の夜は、先生もどこのミロンガに行こうか迷っていたようで、まずはここに行きましょう、雰囲気でその後、「Salon Cannig カニング」に行きましょう、ということになった。

 その日は、<3>で書いたシルビアのレッスン初日。

 からだの一部が放心状態のまま、ランチの後、タンゴシューズのショッピングにエナジーを注ぎこんでしまったため、ほとんどマリオネット状態で言われるままに動いた、そんな夜の始まりだった。シューズの話はまた後で。

***

「La Milonga de Vinilo」はとっても混んでいた。満員電車のなかを泳ぐみたいに、人混みを抜けて、2階席に案内された。下のフロアもステージもよく見える。

(*このときの写真も一枚もない。公式的サイトから拝借↑)

 

 照明は暗く、それほど広くなく、閉ざされた雰囲気があって、私の好みだった。ブエノスで行ったあらゆるミロンガのなかで場としては一番好き。

 いま私に、「あなたのためならいくらでも出しますよ、限度額なし、条件もなし、見返りも要求しない、期待しない(細かい)」という人が出現したら(しない)、あんな空間を作りたいとも思う。
 踊りたくない気分のときは2階で赤ワイン片手に下のフロアで踊っている人を眺めたりステージでの演奏を聴いたり。踊りたいなあ、と思ったら下のフロアに降りて踊るという。

 その夜はOrquestra Victoriaというバンドの生演奏。2階席で聴いた。残念ながら私には響かなかった。(時差ボケのためと信じているけれど)熟睡しているお友だちもいた。

***

 私は、いつのころからか、「がんばって感動しよう」を放棄している。
 せっかくここに来たのだから、このひとたちの演奏なのだから、この監督の映画なのだから、この画家の作品なのだから……だから何かを感じとらなければ。

 そういうことをやめたのはいつだっただろう。10年くらい前だったような気もするし、つい最近のような気もする。
 感動することが減ってきたな、と感じたころだった。以前は何を見ても、わあっ、って心が弾んだようなものに対しても、「いつかどこかで見た風景、経験済」みたいになってしまったことに、最初はすっごく焦燥を覚え、それから放棄した、という流れ。

 それでも<2>に書いたように、ブエノスアイレスの街を歩いていても、ほとんど感情が動かないことに失望したりはしているのだから、往生際が悪いというか、思いきれないというか半端というか、それが私よ、しかたがないわ。

 でも、やっぱり思う。
 がんばらなくったって、刺さるものは刺さってしまうし、残るものは残る。もしかしたら、がんばらないことによって、とんでもなく価値のあるものを取り逃がしてきているのかもしれない、でも、価値のあるものとはいったい何? 私が感じなかったのだから、それは私にとっては価値のあるものではなかった、それだけのこと。

 だって、そうでも思わないと、「何に、どれだけのものを、どのように感じるか」が、ある意味すべてでもあるはずの私の仕事……、それは人生そのものと言ってもいいけれど、なにかすっごく重要なものを失ってしまうようで。

 それであるときから、「感動しなければならない」を放棄しようと心がけてきたのだと思う。

 というわけで、感動しませんでした。

 踊れる雰囲気でもなかったし、一時間くらいが経過したころ、「Salon Cannig カニング」に行きましょう、ということになった。(きっと時差ぼけで)熟睡していたお友だちを起こして、カニングに向かった。

***

 カニングは動画やドキュメンタリー番組などで見知っていたミロンガだった。世界的に有名なミロンガ会場だから観光客が多い、と聞いていた。翌日には楽しみにしているTango Bardo タンゴバルドの生演奏がある予定だった。わくわく。

 カニングは、広くて、堂々としていて、威厳みたいな、自信にあふれていて、ちょっといばっているかんじ。そんな空気感があった。私は入った瞬間、ここ好き、と思ったことを覚えている。

  席に案内されて、すぐだったか。

    それとも踊ったあとだったか。

    記憶が曖昧だけれど、流れて来た歌に私は、うたれたようになってしまった。

    うそ……思わずつぶやき、おさえきれずにみんなに聞こえるように言った。

「さすがだわカニング、DJ、センスいいですね!」

   いま、これを書くのをひどくためらったくらいの「オマエ何様」発言をする私に、向かい側に座っていた先生が笑って言った。後ろ見てください。

 私は振り返った。

 ひとりの女性が、熱唱していた。私はそのまま椅子の背にしがみつくようにして彼女の歌に聴き入った。

   信じ難かった。だって、そのとき彼女が歌っていたのは、エディット・ピアフの「いいえ、私は後悔しない」だったのだから。

 Non, je ne regurette rien(いいえ、私は後悔しない)。

 瀕死のピアフを甦らせた奇跡の一曲。

   この曲を歌うために、ピアフはじっさい、魔法がかけられたかのように復活、ステージを成功させた。私はこのエピソードに「人間の底力」を見て、「情熱が生命を支える、ってことを信じたい」と思い続けてきた。このエピソードを伝えたいがために、2015年、ピアフ生誕100年の年に「エディット・ピアフという生き方」という一冊の本を書いたといってもいい。

 それが、いきなり流れてきたのだから、うそ、と思うのも無理はないと、いまでも思う。

   できすぎている。小説のシーンでそれを使ったら、「それはいくらなんでもやりすぎー」って編集者さんから指摘されそうなシーン。

 それが実際にあったのよ。

 そして彼女の歌声、表現力が、すばらしかった。

 エディット・ピアフの歌は多くの人が歌っているけれど、ピアフ以外のはあまり聴きたくない。けれど彼女のは違った。胸に重くしみてきた。この歌を、このように歌うということは……と、彼女の人生に思いをめぐらせた。

    このひとは、これまでの人生のなかで、ひどい苦境の時期というものを経験し、それを克服してきたひとではないか、と。そうでなければ、こんなふうに歌えない。ピアフのとはまた違った、聴くものをつつみこむような「いいえ、私は後悔しない」に、私は、そんなふうに想像していた。
    一般的に有名な「バラ色の人生」でも「愛の讃歌」でもないところが、すべてを物語っているようにも思った。

(*このときの写真も一枚もない。なんて写真を撮らない私。なんて写真を撮らないお友だちたち。この写真はネットから)

 

   ずっと聴いていたかったのに、フルでは聴けない。だってコルティナだから。

 Cortina コルティナ。

   ミロンガで踊る曲はたいてい、3曲から4曲でワンセットになっていて(1Tanda タンダ、回っていう意味)、次のタンダの合間に流れる曲をコルティナという。カーテン、幕、という意味。けっしてメインではないのだけど、このコルティナにはDJそのひとが、もしかしたらタンゴの音楽と同じくらいあらわれるのでは? とさいきん感じ始めている。

 コルティナがずっと彼女の歌。コルティナになるたびに私はくるりと後ろを振り返って、椅子の背に両手を置いて、歌に聴き入った。私にとってはコルティナがメインみたいな、そんなかんじだった。

 彼女全部から、歌うことのよろこびが溢れ出ていた。ああ、このひと、歌うのがこんなに好きなんだな、というのが伝わってきて、そして私は、タンゴ同様、そういう人にしか、心動かされない。

 終わったのち、お友だちのひとりが、彼女のところへゆき、ネームカードをもらっていた。

   このお友だちの音楽を聴いているときの表情、たたずまいが私は大好き。私の1万倍くらい、一曲からいろんなものを感じとっているに違いないと確信している。

    私が好きだと思った歌手を彼女も好きだと思っていることが、なんだかとても嬉しかった。席に戻った彼女が言った。CDは出していないそうです。でもYou Tubeに動画があるそうです。

 

 私も気持ちを伝えたくて、歌手のところへ行った。

 自慢ではないけれど、私は外国の言葉が苦手。

 それでもあなたの歌に胸をうたれました、感動しました、大好き。ジェスチャーつき、うるうるの目で、つたない英語と日本語で言ったような気がする。

 このときだったかな、違うときだったかな、いつもそういうとき一緒について行ってくれたお友だちから、彼は英語ができるのだけれど、「路子さんはいつも、I  Love You! なんですから。補足がたいへん」と言われた。そうだったかな。お世話になりました。

 でもね。私の古いお友だちの話をさせて。

    彼女は英語もフランス語もネイティブ級で通訳の仕事をしているのだけど、ある映画祭で大ファンのトニー・レオンに会ったとき、すべてがふっとんでしまって、夢中で口にした言葉は何だったと思う?

「あ、あ、あ、……I Love You!」

 だった、っていうの。そういうことなのよ。ネイティブだってそれよ。

   トニー・レオンは、そんな彼女にありがとう、って優しく微笑んだ、って。

 ね、そういうことなの。伝わるか伝わらないか。それだけ。

 語学ができない人間の開き直り以外のなにものでもない、わかってる。

 それでもね、あのとき少しは思い出そうとしていたのよ。あなたの歌が好き、ってスペイン語。Me Gusta~(I Like~)でさえ思い出せなかった自分の頭の弱さ、ここまでくると、憐れんであげたい。かわいそうね私。

***

 帰国してから、歌手の方からネームカードをもらったお友だちから教えてもらった。彼女の名はLaia Xoan。

 ライア。

 You tubeで検索して、夢中でコレクション。ピアフの「いいえ、私は後悔しない」もあった。コルティナでなく、彼女の歌で踊っているのもあって、これはめちゃくちゃ、踊っているひとたちがうらやましい。

 もう、ライアに出逢えただけで、カニング、それだけで充分だったのに、もうひとつ、忘れ難いものを私は目にしてしまった。

    それは、ずっとあとになって、そのときのことを、意味深く思い出すのではないかと、いま予感するほどのものだった。

(<5>につづく)

 

*ライアの「いいえ、私は後悔しない」。あんまり音も画像もよくないのが無念。でもあの瞬間をぐわんと思い出すことができる。

(2018.10.22)

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