★絶筆美術館3:マグリット『騎手のいる風景』
2020/09/02
もしもこの絵が絶筆でなかったら、私はマグリットにこんなに興味をもたなかったかもしれない。
『騎手のいる風景』。
暗い、暗い森のなかにひっそりと佇む一軒の家、掃き出しの縦長の長方形の窓は六つ、オレンジ色の灯りが燈っていて、手前に馬に乗った人のシルエット。灯りの燈った家に向かって駆けているのか。それともただ通りがかっただけなのか。
空は雲が多いけれど晴れている。透明感あふれる薄い水色がとてもやわらかくてすがすがしい。
これはマグリットが好んだテーマ『光の帝国』(光の支配)シリーズ、多くのヴァージョンを描いたうちの最後の一枚、おそらく二十七枚目とされる。
未完。『騎手のいる風景』というタイトルはマグリットの死後につけられた。
癌に冒されたマグリットにこの絵を仕上げる時間が残されていなかった。だからなのか、写実的でかっちりきっかりした、「いかにもマグリット」的な絵ではない。
私はこの絵が好きだ。
余韻があり、やさしく穏やかで、フェルナン・クノップフの『見捨てられた町』、これは私が好きな絵画のベスト3につねに入っている絵なのだが、それにも似て、ノスタルジーを覚え、共鳴する。ゆっくりとゆっくりと、けれどかくじつに、その世界に引きこまれてしまう。そう、ノスタルジー、郷愁がこの絵には色濃くある。
そんなふうに感じていたら、どの本に書いてあったのか忘れてしまったけれど、マグリットは同じベルギーの作家クノップフの絵が好きで、『見捨てられた町』にも強く影響を受けている、という記述を目にして、ひどく納得したのだった。
『騎手のいる風景』をはじめて観たのは一九九四年、当時の三越美術館で開催された「ルネ・マグリット展」だった。
それまで私はマグリットが創り出す世界を、面白いとは思っても感動するということがなかった。頭は刺激されるけれども心が揺れることがない、そんなかんじだった。けれど、その展覧会で『騎手のいる風景』に魅せられて、マグリットに興味をもったのだ。
彼が何枚も同じテーマで描き、結果、この絵が絶筆となったのだということを知ると、さらに彼への興味は膨らんだ。
しかしマグリットを「もっと知る」ことは難しかった。
なぜならマグリットは自分のことを徹底的に語りたがらなかった人で、作品についてあれこれと解釈の説明を求められたりすること、私生活を知られることを嫌っていたからで、この絵を描いた人はどんな人なのか、どんな人を愛し、どんなことに苦しみ、どんなときに幸せを感じたのだろう……、そんなことに強い興味をもつ私としては、かなりじれったい人なのだった。
実際のところ、波乱万丈の人生とは程遠い、「エピソードのないことがエピソード」みたいな言われ方もしている。どれだけ情報がないのか、とじれったさがエスカレートして苛立ちさえ覚える。
それでも、できるかぎりの情報を集めて、そしてマグリットの絵と真剣に向かい合って、その結果、私は私なりの結論を得た。
彼の絶筆には、彼が最後に見たものが描かれている。