★西洋絵画のスーパーモデル ブログ「言葉美術館」 路子倶楽部
★西洋絵画のスーパーモデル:5「フローラ」
2023/12/28
■春は恋する季節 花の女神「フローラ」の息吹を感じながら■
春のおとずれ。
木々は新しい息吹に揺れ、水分をたくさん含んだ緑の葉が生き生きと輝く。そして淡く華やかに咲き乱れる、花々。
人々も重いコートから解き放たれ、パステルカラーに心惹かれ、軽やかに歩く。胸わくわくさせて。
夏の恋は肉体先行、春の恋はこころ先行だと私は思う。
衣服を脱ぎ捨てるにはまだ早く、それでも浮き足立つ心が、ときめきを期待している。そこに、可能性を信じさせてくれる柔らかな空気が爽やかに吹きこみ、とまどいがちな背中をそっと押してくれるからだ。
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ということで、今回は『春(プリマヴェラ)』の主役、花の女神、フローラ。
香水の名に「フローラル」がよく使われるから、馴染みのある響きだと思う。
フローラ。とても軽やかで、柔らかな語感。花の女神にふさわしい。
このボッティチェリの絵のなかで、彼女は花柄の衣装を見にまとい、薔薇の花を抱えている(中心に立つヴィーナスの右隣)。
ウフィッツィ美術館の宝物のひとつとされる名画だ。
私は、そこに含まれるさまざまな暗喩や、色彩の美しさに圧倒される。が、肝心のフローラに、美しさを感じない。
理由はとても単純で、私は花柄の服が嫌いで、花柄の服を着た女性も好きではないからだ。
それはなぜ? と考えるに、おそらく「花柄」はあまりに女性的で「綺麗」ではなく「かわいらしい」イメージで、それを着る女性は「頼りなげな」かわいらしさを主張したがっているように見えるからだと思う。
そして、それはいかにも「フローラ的」だ。
というのは、フローラも「頼りなげな」受け身の女性だから。
この絵には、その様子がよく描かれている。
右端、西風ゼフュロスに手をかけられ、逃れようとしている女性はクロリス(大地の精)。
そして実は、そのクロリスとフローラは同一人物なのだ。
つまり、処女であるクロリスが西風ゼフュロスに犯され、「おんな」になった姿がフローラということになる。
そしてゼフュロスと結婚した美女、フローラが次々に産んだのが美しい花々なのだ。
嫌がりながら(あるいは嫌がるそぶりを見せながら)関係をもった男と結婚して、たくさんの子(花)を産む。
うーん、これこそ「男に好かれるおんな」という気がする。
だからというわけでもないだろうが、西洋の画家たちは好んでフローラを描いてきた。
たとえば、レンブラントは『フローラに扮したサスキア』を描き、かわいい妻を讃えている。
けれど面白いのはティッツィアーノらヴェネチア派の画家たちで、なんと彼らは、娼婦をフローラとして描くことが多かった。
これは想像でしかないが、娼婦というのは、男たちが望む女を演じる仕事。そういう意味で言えば、ヴェネチア派の画家たちがフローラを描くとき、娼婦をモデルに、あるいは娼婦をイメージしたのもうなずける。
……と、ずいぶん花柄・フローラに意地悪なことを書いてしまったが、正直に言って、私には「フローラ的かわいらしさ」がないので、これは自分にないものをもった女性に対するやっかみなのだろう。
花柄の女性たちよ。春はあなたたちの季節。
どうぞ意地悪な女など無視して、春の陽射しにきらきらと輝いてください。
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◆「フローラ」伝説◆
古代イタリアの「花の春と豊穣の女神」。ローマの詩人オウィディウスの「行事暦」に「私は昔クロリスであったが、今はフローラと呼ばれている」という記述があることから二人は同一人物であると考えられている。
ローマでは彼女の祭り「フロラリア」があり、それはかなり放縦なものであったと言われている。
神話はフローラについて多くを語らないが、画家たちは彼女に魅惑され、数々の名画を残した。
*絵のタイトル「春(プリマヴェラ)」
*画家:サンドロ・ボッティチェリ(1444(5)-1510)
イタリア、フィレンツェに生まれる。初期ルネッサンスを代表する画家。詩情に満ちた独特の画風で繊細な聖母子像や神話の寓意画など多彩な作品を残した。
*1999年の記事です。
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◆現在の感想
なんて意地悪な記事なのでしょう。嫌われることをぜんぜん恐れない書き手、ってかんじ。
いまはこんな書き方はできないと思う。同じことを思っていても、もっとソフトに書くと。
どちらがいいかはわかりません。