◎Tango ブログ「言葉美術館」

■抱擁、そして、自分の脚で立つ、ということ。

 

 

 ここのところ、脱稿後の虚脱状態か、……いや、それ以前から抱えていた問題が、猛烈に忙しい仕事に没頭する日々のなか、考えないでいられたことが、暴力的に立ち現れてしまって、私の全身を支配し、精神が摩耗していた。もちろんそれは身体にもあらわれる。食欲がどこかにいってしまったから、もう最悪、ベッドから起きられない。次の、締め切りがせまっている新刊の原稿にゆるゆると向かっても、なにひとつ言葉が思い浮かばない。情感を揺すぶられるのは危険だからタンゴも聴けない。

 なんとかなってよ、たのむよ私。

 と自分にお願いしてみても力が入らない。

 そんなある夜、タンゴを踊りに行った。以前からお誘いを受けていたので予定には入れていたのだけれど、色校正とか、そういう最終段階のことがまだ済んでいなかったから(娘の仕事なので私はいらないのだけど、やはり自分の目で確認したいものなのよ)、そして最悪モードだったから、迷った。踊れる気がしなかったし、踊りたいという欲望さえなくなっていた。お友だちたちとのおしゃべりさえできない気がした。

 意を決して準備して家を出て、電車に乗っても、道を歩いていても、やっぱりこのまま帰ろうかな、と思うくらいのかんじ。

 でも、踊って帰宅して、ああ、今夜は行ってよかったんだ、と思った。

 たいせつな感覚が蘇ってきたような、いいえ、その片鱗くらいのものなのだけど、そういうのを感じたからだ。

 翌朝、何が私をそうさせたのだろう、って考えて、ふたつのことが頭に浮かんだ。

 ひとつは、アブラッソ、抱擁があったから。

 あるときのマリリンみたいに「私には誰もいないのよ!」って叫んで孤独地獄にこのまま落ちてゆくんだわ、って、そういう状態だったから(ほんと書いている人物に入りこみすぎよね、再生版なのに)、「アブラッソ」はどんな精神安定剤よりも効いた。泣けるくらいに。

 もうひとつは、自分の脚で立たなければならなかったから。

 どんなにだめだめでふにゃふにゃでも、フロアに立ったなら、自分の脚で立ち、自分のステップを踏まなければならない。そうして踊る相手に集中して、ふたりで曲に、その刹那に埋没する。それが私の踊り。

 アブラッソと、自分の脚で立つ、というこのふたつのことが、私に蘇りのきっかけを与えてくれたのだと思う。

 そう考えると、やはり私にとってのタンゴは人生に深く通ずる。

 抱擁、そして、自分の脚で立つ、ということ。

 そして、お友だちの存在。

 

 それでもね、このややこしい私のネガティヴさは、そんなにたやすくはないの。いばることじゃないけど。

 翌日も精神的廃人として過ごした。タンゴも聴けず、せめてお部屋の掃除、シーツの交換をしよう、くらいのことしかできなかった。

 まあ、それでもこうしてしぶとく生きている。それだけでもよしとしよう。

 こんな状態のときって、お花屋さんで美しい花々を見ただけで、じーんとしてしまうものなのね。写真は家の近くのお花屋さんで撮ったもの。

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