○女性芸術家3「ジョージア・オキーフ 働く理由」
2023/12/28
■ジョージア・オキーフ(1887〜1986)
(*パートナーのスティーグリッツが撮った写真のなかでも私がすごく好きな1枚)
アメリカ、サンプレリーに生まれる。美術界の動向に左右されることなく独特の画風を維持した。
70年代のフェミニズムの高まりのなかで、女性画家の代表、生きた理想とされたが、オキーフ自身は関心を示さなかった。
また、人間嫌いとまで言われたプライバシーをたいせつにするその毅然とした態度は98歳で亡くなるまで変わることはなかった。
「ジョージア・オキーフという生き方」を書きたいくらいに興味深いひと。
*1995年「藝術倶楽部」に連載したものです。
*ほんとは第3回はフリーダ・カーロなのですが、絶筆美術館のほうで詳しく書いてあるのでパスしました。
(ピンクの上の2つのカラー・リリー 1928)
■絵を描く理由
「私はいつでも自分が何を望んでいるかを知っていました。多くの人はそれがわからないのです」
孤高の画家として知られるジョージア・オキーフ。
彼女の望み、それは「絵を描くこと」だった。
98歳で亡くなるまで、激しい情熱と強靭な意志で、ただひたすらに、絵を描き続けた。
私は静物画よりも人物画に惹かれるのだが、いく人かの画家と同じように、オキーフの静物画は別。
人間よりもずっと人間くさくて、なまなましくて、息づいている。
そしてその生涯がまた、ぐっと引き寄せられる。
「ミューズ」のひとりとして、オキーフを知ってはいた。20世紀アメリカ芸術を牽引した写真家スティーグリッツとのパートナーシップ。彼が彼女を撮った写真が私は好きだった。
けれど、オキーフは恋人、妻である以前に画家だった。夫スティーグリッツを愛してはいたけれど、彼女にとっての最高の時間は、絵を描いているときだった。
最高の満足は夫に抱かれているときではなく、納得のいく作品が完成したときだった。だからこの芸術家夫婦に「普通の結婚生活」はなかった。
22年間の結婚生活でふたりがともに暮らした時間は多くはない。
夫をニューヨークに残しオキーフはニューメキシコでひとりきりで暮らした。
そこには彼女のインスピレーションをかきたてる西部の荒野が、鹿の角が、雄牛やバッファローの頭蓋骨があった。
(薔薇と牛骨)
「絵を描く理由」について、オキーフ自身の言葉がある。彼女はたくさんの名言を残しているけれど、そのなかでも私はこの一節が大好きだ。
すこし長いけれど紹介したい。
「人が働くのは、おそらくそれがその人にとって、もっとも興味深いことだからでしょう。実際に働く日は、ですから最高の日です。ほかの日には……さまざまな用事を大急ぎで済まそうとします。たとえば庭に種や苗を植えたり、屋根を修理したり……、しかしこれらのことはみな、はやく絵に戻りたいために一種の苛立ちをおぼえながら大急ぎでするのです。なぜなら絵を描くことがいちばん重要なことだからです。
絵は人生をつくっているすべてのことをする、すべての理由を貫いている一本の糸のようなものです」
ここまで、絵を描くことが重要と言い切れるオキーフが私は好きだし、その表現方法は違っても私もそうありたい、と思う。
たぶん、現代は女性が自由にその生き方を選択できる世の中だ。仕事をもち、忙しい毎日を送る女性が増えている。けれどそのなかで、いったいどのくらいの女性がオキーフと同じような感覚で仕事をとらえているか。
彼女の仕事に対する想い、姿勢こそがほんらいの姿なのだと思いたい。
理想だとしても、私はこうありたい、と願う。