■SNSと秘密と
TwitterもInstagram、おふたりとお別れします、ってここに書いて、ふたつともやめたのは2020年の8月28日。
Facebookは続けているけど、たまにしか投稿していない。
けれど、SNSでの活動をしていないと、もうこの時代、魅力がない著者、となる。これは直接告げられるわけはないけれど、ひしひしと感じる。しくしく。
魅力は多ければそれにこしたことはないわけで、だから、ときおり、何か発信したほうがいいのかなあ、なんて考えをめぐらせることはある。
きっと、こういう内容を、ここで発信したなら、意義深いし楽しいだろう、そんなふうに思えることがあったなら、始めるかもしれない。
それにしても、多くの人が、自分をさらけ出しているなあ、すごいなあ、と驚く。認めて認めて欲求。これ、私も強いほうなんだろうけど、負けてるな、という人があふれている気がしてならない。
SNSでの発信も、だんだん麻痺してくる。最初は躊躇していたような写真も平気でアップできるようになってくる。麻痺はこわい。自覚がないというのがこわい。自戒をこめて言っている。
ここまで書いてふと思ったことは、やはりあれね、私は秘密が好きなのね、ということ。
もちろん、投稿でその人のすべてわかるわけではないけれど、すべてわかったように思わせるものは好みではないということ。
秘密。
これは、このところの私のキーワードのひとつ。
絵は、好きな画家、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの「黄金の箱を開けるプシュケ」。
物語はここに書かないけど(怠慢。気になる人は「クピドとプシュケ」で調べてみてね)、黄金の箱は開けちゃいけない、って言われている箱。
私の黄金の箱の中身は、すっごく特別なひとにしか見せないし、どんなに特別なひとでもすべてを見せることはない。