▽映画 ブログ「言葉美術館」

■私はどんな物語を語りたいのか。「ホワイト・クロウ」を見て自分を嘆く。

 

「ホワイト・クロウ」って「白いカラス」という意味。
 カラスって黒いから「ホワイト・クロウ」は「類まれな人」とか「はぐれ者」「すっごく珍しい人」を表しているみたい。

 天才バレエ・ダンサー、ルドルフ・ヌレエフの伝記映画。

 ふたつの理由から、これは観たいと思っていた。

 ひとつは、脚本家がデヴィット・ヘアであること。

 私にとっての特別な映画「めぐりあう時間たち」だけじゃない、「ダメージ」(これまた特別)、「愛を読むひと」(好きな映画)の脚本は彼だから。

 もうひとつは、私が書いたサガン、ジャクリーン・ケネディ、このふたりと親交があったから。なにかとても印象深く、彼女たちの人生にあらわれていて興味があった。

  ジャクリーンはファースト・レディ時代に、ホワイト・ハウスにヌレエフを招き、公式晩餐会で踊ってもらっている。

 

 サガンの「私自身のための優しい回想」には有名な人たちとの思い出が綴られていて、とても読み応えがあるし大好きな1冊なのだが、そのなかに、ルドルフ・ヌレエフのことも語られている。

 ふたりがアムステルダムで出会ったときヌレエフは40歳。サガンは三つ年下。

 会ってすぐのふたりはぎこちない。サガンはヌレエフの壁を感じて居心地悪く、魅力も感じられず、サガンも不器用な人だからもじもじしているかんじ。けれどある夜更けにふたりきりでホテルのロビーに戻ったとき。

「私はふと彼に訊ねたように思う、いったいあなたは人間を愛しているのか、人生を、自分の人生を愛しているのか、と。彼は私に答えるために身を乗り出したが、そのとき、それまでの皮肉っぽい無感動な顔が、急に警戒心をといた子どもの、自分について真実を言いたがっている子どもの、感じやすく率直な顔、あらゆる質問がなされるべきであり、またなされ得る顔となった。」

 ふたりはそれから3日間ずっと一緒で、食事をともにし、街を歩き、会話を楽しんだ。

 これは、映画「ホワイト・クロウ」を観たあとでは、すごく特殊なことだったのだとわかる。ヌレエフって、かなりのホワイト・クロウだから。特に人間関係においては。

 さて、サガンがヌレエフとの思い出を書いた文章のなかで、上に紹介した一節のほかに、もう一つ私のなかで消えることのない一節がある。

「一つの動詞が絶えず彼の口にのぼってきた。それはfulfil(達成する、充たす)という動詞だった。I want to fulfil my lifeと彼は言った。そして、そのためには過去も現在も、そして将来においても、彼の芸術、舞踏だけがあるのだ。」

 サガンはヌレエフのレッスンも見学する。そのストイックで壮絶で命をかけたレッスンの様子はサガンの胸をうった。

「私はfulfilという動詞で彼が何を言おうとしているのかが、わかり始めていた。」

 書きながら、またしてもサガンのセンスに惚れるわけだが、ヌレエフもそうとうだな、とは思っていたのだ。

 それで、映画「ホワイト・クロウ」。

 ヌレエフの、ホワイト・クロウっぷりや、バレエのたぐい稀な才能はもちろんたっぷり味わえる。

 私が一番どきどきしたのは、ラスト間際、ヌレエフが遠征先のパリの空港でソ連からの亡命をはかるシーン。こんなに心臓がばくばくしたのは久しぶり。

 ソ連側から、もし亡命したら祖国の家族がどうなるかわからないぞ、って脅されても、それでもヌレエフは自分の道を選ぶ。貧しいなか、必死で働いて自分をバレエの道にすすめてくれた母親への愛は格別にあったから、これはかなりつらい選択だったろう。けれど、彼は自分の道を選ぶのだ。

 パリで出逢った女ともだち、この女性にも私はこころ奪われた。彼女はヌレエフにちょっとした恋心を抱くのだが、ヌレエフは彼女を傷つけるようなことを平気でする。本人には悪気がない。彼には「わからない」のだ。それでも彼女はそんなヌレエフをそのまま理解しようとし、彼の亡命を助ける。そしてそれを彼に感謝されることがなくても、不満に思わないどころか、彼が亡命できてよかった、とこころから思っている。愛を見た気がした。

 私が思わずノートに書きとめたシーンは別のところ。

 最初のあたりかな、ヌレエフが尊敬する師がヌレエフに語る。まだヌレエフが有名になる前のこと。

「私はいつも技術を教えている。それだけだ。だが忘れないでほしい。技術は手段にすぎず、終着点ではない。完璧なジャンプ、それが何だ。腕の上げ方が完璧だからって、どうだというのだ。我々はテクニックに時間を割きすぎる。技術のことばかり考えている」

 ここでヌレエフが問う。

「では何を考えれば?」

 師は答える。

「物語。どんな物語を語りたいのか。みんな自分に問おうとしない。私は何を語りたいのか、と」

 

 どんな物語を語りたいのか。

 あらためて、自分に問う。私も、ときどき、こんな基本の基本の基本のことを忘れているときがある。売れる本を書くことに気をとられて。そんなんだったらやめちゃえ、と今、私は自分に言いたい。そんな心境の水曜日の夜。 

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