■姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』
なつかしい人に出逢ったような、そんな感覚になった。
ひと月くらい前に、リビングに置かれていた本を見たときのことだ。姫野カオルコ、という名に、こころで歓声をあげて手に取った。『彼女は頭が悪いから』。
娘が買ってきたのだ。
「姫野カオルコ、これ、読んだ? どうだった?」
「一気に読んだけど、こわかったよ」
「借りていい?」
「珍しいね」
「カオルコさま、って呼ぶほどに好きな作家なの。デビュー作『ひと呼んでミツコ』は私にすごく影響を与えた本だよ。それからずっと追ってきて、ホームページもよくのぞいてた。2016年に直木賞を受賞したときは、ほんとに嬉しかった」
姫野カオルコが直木賞を受賞したころは、熱心なファンとは言えない状態だったけど、ほんとに嬉しかったのをよく覚えている。ああ、ようやく、と思った。
それで昨日の午後、すべてがいやになってしまって、これ、とくに理由もなく、突然くるいつものかんじなのだけれど、このままだとあぶないな、とサイドテーブルに置いたままになっていた本を開いた。
そして一気に読んだ。夕食までの間四時間くらいかな。読み終わったあと、目が見えなくなるくらいに。読書がほんと過酷になっている。
久々のカオルコさま。健在だった。ああ、このかんじ、ああ、この視線、ああ、この表現、やっぱり好きだなあ、と思う。
じっさいに起きた事件に触発されて書いた小説。
帯裏には「東大生5人による強制わいせつ事件。非難されたのは、なぜか被害者の女性大生だった。」とある。
ここでは内容についてはふれないけれど、読み終えてしみじみと思ったことは、この世の中には、「それができてしまう人間」が存在するということ。ひどいいじめもそうだし、戦時の残虐行為もそうだし、快楽殺人もそう。そしてそれができてしまう人間は、それを非難されても、なぜなのかが「わからない」。そこの能力が欠如している。
そんなことを思いながら読み進めていったから、小説のさいご、「わからなかった。」にしびれた。
長編。事件にインスパイアされた小説。書くことの労力に想いをはせる。たいへんだったろうなあ。いろんな批判も覚悟だったのだろうなあ。
これだけのものを書くということ。それに費やした時間だけを考えても、書くには多くの時間がかかるけど、読むのは数時間。まるでちょっと手のこんだ料理みたい。
カオルコさまのことを知る業界のひとから、ちょっとしたエピソードを聞いたこともあるな、といま思い出した。三十代半ばくらいだったかな。あれからもう二十年。カオルコさまは小説を書き続け、そして私は。
自分が歩んできた道をふりかえって、どこでどうすればよかったのだろう、なんてことをしばし考えた。しょぼしょぼになった目を閉じて横になって、考えたけど、答えなどないこともまた知っているから、しばらくして起き上がった。
そのときにふと思った。このかんじ。いい兆候ではないな、って。すぐに起き上がってはいけない。そんなふうにできてはいけない。答えなんてないと知っていたって、考えることがたいせつなのに。答えがないことをわかっていて、それでも考えることで、見えてくることがあるはずなのにね。