ブログ「言葉美術館」

■「書きたくないんだよ」

 

「それは、書けないんじゃなくてね、書きたくないんだよ」

 中田耕治先生はおっしゃった。

「書けないんです」とほとんど涙モードでうったえた私に、にこやかに微笑んで、先生はおっしゃった。

 私はかみなりにうたれたみたいになって硬直。硬直している私に先生は続ける。

「書けないんじゃない、書きたくないんだ、それだけのこと。だからね、そんなときは書かなければいい。ほかのものを書いたりしていればいいんだよ。それでね、いつか書きたいと思ったら書けばいい」

 涙モードでうったえて、先生の言葉にびっくりして、それは、私がずっと赤だと信じていた色を、それ、青なんだよ、って言われたようなショックで、涙モードが落涙にかわりそうだった。

 ほかのひとたちがいたからおさえたけれど。

 そうか、私、書けなくなっちゃったんじゃなくて、書きたくないだけなのか、そうか、先生がおっしゃるならそうなんだろう、ああ、よかった……。

 中田先生の94歳のお誕生日会、先生にお会いしても私は何も嬉しい報告ができない、だって、タンゴの小説、すすんでないもの。先生を落胆させてしまう。そんなかんじで千葉まで出かけたのだった。

 もう、この言葉だけで、かんぜんにすくわれた。

 先生はさらにおっしゃる。

 あの小説ね、舞台となっている土地をもっと描いてごらん。(そして詳細なアドバイスが続くの。)

 バンコクの日記も、おもしろい小説にできると思うよ。小説の種子がいっぱいある。

 先生はいつだって、こんな私を文学者としてあつかってくださる。そして先生のお話を聞いていると、可能性がふわーっと広がって、すごく書ける気がしてくる。そのことを伝えると「ぼくは、リポビタンDみたいな存在だからね」と、にっこり。

 書けないんじゃない、書きたくないだけ。あせることなく、熟成でも発酵でも勝手にしているということにして放っておいて、書きたくなったときに書こう。

 そんなふうに思えることがどれだけ私を軽やかにすることか。心の重石がなくなったかんじ。

 そして、ぐるっと周りを見渡す。

 「できない」と「したくない」を取り違えていないかと。

 行けないんです、じゃなくて、行きたくないんです。思えないんです、じゃなくて、思いたくないんです、好きになれないんです、じゃなくて、好きになりたくないんです。時間がないんです、だって、厳密に言えば、そのために時間を使いたくないんです、ってことだしね。……いっぱいあるような気がしてくる。

 そしてここ一週間は、新刊の初稿ゲラとむかいあっている。発売日が決まった。12月16日配本。いまは最終段階。「あとがき」をこれから書こう。書けるかな。

 写真は、9月にお会いしたとき先生からいただいた、カルロス・サウラの「TANGO」のDVD。

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