■フランス映画祭2021という小旅行
先週末は横浜でのフランス映画祭に出かけてきた。
以前から楽しみにしていたイベント。4日間の日程、11作品のなかから、一緒に行くりきちゃん(りきマルソー)と相談して4つをピックアップ。選別では揉めない。好みが似ているから。すべて女優目当て。
13日(土)は13:15からの「分裂」
女優ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ目当て。フランスの黄色いベストのデモ、病院で働く人たちのすさまじい仕事量、患者たちのそれぞれの人生、最初から最後までパニック。私もパニックになりそうだった。映画が終わったときの静寂が安堵するほどに。
ただ、ニュースで知っていること以上の何かがなくて、うーん。ドキュメンタリーでなくフィクションで描くことの意味を考えた。
18:45からの「約束」
女優イザベル・ユペール目当て。彼女が政治家を演じるというので興味があったけれど、残念、登場人物が何をどんなふうに考え何を思っているのか、私にはくみとれなかったなあ。自分の作品における人物描写の重要性を想ったということで、何らかのものは得たとしよう。
14日(日)は11:00からの「あなたが欲しいのはわたしだけ」
女優エマニュエル・ドゥヴォス目当て。興味ある題材なので選んだ。マルグリット・デュラスが66歳のときに出逢った38歳年下の愛人ヤン・アンドレアのインタビューを映画化したもの。うーん、これもドキュメンタリーではなく、フィクションにした意図がわからなかった。ただヤンがすっかりデュラスに洗脳されていたことはよくわかった。強烈な恋愛関係って、そこに洗脳があるとは思っているけど、これはほんとにそう。デュラスとヤンについてはすでにジャンヌ・モロー主演での映画「ラマン愛人 最終章」があり、私はこれがとても好きでブログにも書いているけれど、監督は「ラマン愛人 最終章」のヤンの描かれ方が不満だったみたい。それでわたしが、ってなる気持ちはよーくわかります。
18:45からの「ウイストルアム 二つの世界の狭間で」
女優ジュリエット・ビノシュ目当て。ある作家が掃除婦を扱った本を書くために、素性を偽って掃除婦として働き始める。過酷な労働をしつつそこで見えてきたものを書き留め、創作のエナジーはむんむん。友情もめばえるけど、友人たちは彼女が作家であることを知らない。そのことに作家は胸を痛めつつも、結局、本を仕上げる。友情を失ってでも、本を書き、掃除婦たちの現実を社会に突きつけることを選ぶ。よくぞ書いてくれた、とい掃除婦もいる、そして、そうでないひともまたいる、ということ。
本を書くために、どこまでが許されるか、っていう問題がここにある。ほかの人たちからのものもあるけれど、自分が自分を許せるか否か、という問題。こういう問題を見るたびに、じぶんだったらどうか、と考えるわけだけれど、私にはやはりここまではできない。別の方法を選ぶと思う。誰かを騙して題材を得るというのではない方法を。そして同時に思う。そこまで強烈に発表したいもの、追求したいものがいまの自分にあるのか、って。痛いなあ。
最初の3作品がいまひとつだったから、最後のも残念だったら残念すぎる、と思って映画館のシートに座ったけれど、ぐいぐいひきつけられた。
ただ、これも原作があって、それがジャーナリストによる掃除婦たちの現実なものだから、3作品にずっと感じていいた、ドキュメンタリーではなくなぜフィクション、という問いは残った。
今年のフランス映画祭は来日する女優もいなくて、会場も閑散としていて、コロナ禍のなか、しかたないとはいえ、もうすこし、なんとかならなかったのかなあ、と参加する側としては思っちゃう。
きっと開催する側の人たちの間でも、意見の相違とかあって、結果的にこういう形になったのだろうなあ、むずかしいよね、と思いつつも、うーん……。
そして、数日が経ったいま、土日を振り返れば、それぞれ一つ目の映画と二つ目の映画の長い空き時間に、りきちゃんと話したこと、食べたものの記憶のほうが鮮明に残っている。
1日目のインド料理、2日目の中華街でのデート、美味しい台湾料理と、おなかぽんぽんなのに、私がどうしても食べたい、って言って路上でぱくぱくした華正樓のあんまん。
タクシーで会場のあるビルまで戻ってカフェで1時間を過ごしたあのとき。
前日の疲労、当時の朝の早起き(私にしては)、そして映画鑑賞、中華街。こうして書いてみるとそれほどたくさんのことをしたわけじゃないのに、ソファに並んで外を眺めていたからかな、楽しい小旅行を終えて心地よい疲労とともに飛行機を待っている、そんな感覚になった。
いま、そんな時間を共有できる友がいることの幸福と、全身がゆさぶられるような映画との出逢いは、やはり稀、胸あつくなり涙誘われる映画との出逢いはやはりそう多くはなく、ああ、観てよかった、って思える映画でさえ、やはりそんなにないんだ、ってことをぼんやり考えている。
それでも映画は映画館で観るのがいい。その世界に集中しなければならない、という状況に身を置いて観るのとそうでなく家で観るのとではやっぱり違う。
それがいまひとつささらなかった作品だったとしても、集中して何かを感じ取ろうとするあの感覚は、私にとっては非日常。そういう意味ではあのカフェで感じた小旅行感はあながちずれていないのかも。
写真は中華街で買ったおみやげ。おみやげ買っちゃうあたり、やはり小旅行だったのね。月餅はたべちゃった。