■引越しからひと月が経とうという夜に
引越しの日からはやくもひと月が経とうとしている。
2022年10月2日の日曜日、住み慣れた地に戻ってきた。
あれ。初の新宿区だー、なんて言って引越ししたのは最近じゃなかった? その通り。2022年5月15日だった。
あの大きなマンションに住んでいたのは、結局5ヵ月弱。
「また引越すことに…」と言うと、そのあまりの居住年数、というか居住日数の短さにたいていの人は、娘がストーカー被害にあったのではないか、と思うらしい(なぜ私ではないのか)。
理由は、ストーカーあれこれではない。
もっともらしい理由なら、次のようになる。
出版社ブルーモーメント。商品の発送を外注したかったが、適当なところがなくて、一部は自分たちですることにした。そのためには作業場が必要だった。新宿区の大きなマンションは部屋も広くて、作業場も確保できた。おまけに部屋の廊下を挟んだ向かい側にトランクルームがついていて在庫保管に便利だった。
ところが、引越して間も無く、ひょんなところから、よい条件で商品の発送を引き受けてくれる会社が見つかった。作業場がほとんど必要なくなった。トランクルームも。
それでも、そこが気に入っていれば、家賃は高かったけれど、なんとか維持しようと思ったはず。
気に入らなかった。はっきり言って、嫌いだった。
住む前にはわからなかったことだ。
大きなマンション、その建物自体も、建物に漂うにおいも、ふんいきも、駅も、駅からマンションまでのアプローチも、がんばって好きになろうとしたけど、どうしても好きになれなかった。
くっきり外界と遮断されるホテルのような部屋も嫌だった。雨が降っているのもわからない、強風が吹いても何の音もしない、人工的な空間に慣れることができなかった。
広すぎるリビングも、あまり使われることのない仕事場があるのも、落ち着かなかった。
私は大好きなはずの室内装飾を、ほとんどしなかった。
ところで、私は娘とふたりで住んでいる。
住み始めてひと月くらいの間は、ときおり、私が「あー、がんばってるのに好きになれないなあ」と呟き、それに対して娘は冗談っぽく「ひっこしますかあ?」と返していた。
あるいは「乗り換えが不便だ、慣れない、地下に潜るのがいや、出かけるのが面倒になる、ますます引きこもりになる、ラプンツェル(注:「塔の上のラプンツェル」)のようだ」と私が言えば「慣れだよ、慣れ」と娘は返していた。
まさかすぐに引越しなんてありえない。なんだかんだ文句を言いながらも、ありえない話をしているのだ、との認識が私たち、あったと思う。
ところが。
あれは引越して2ヶ月半が経った、ある夕刻のことだった。
「ぐっちゃり疲れてもうだめです」を全身に漂わせて娘が帰宅した。
おそるおそる「どうなさいました?」と尋ねると、娘は言った。
「ここ、もういやー。〇〇駅で乗り換えたら間違って、〇〇方向に行ったら、また間違えて、〇〇駅に降りたけど、どっちいったらいいかわからなくなって、荷物は重いし、すごく疲れていて、〇〇駅の雑踏の真ん中で泣きそうになった。これから帰らなくてはいけない駅がひどく遠くかんじた。もういや、と思った」
私は娘にきっぱりと言った。
「よし、これで決まりだ、引越すぞ」
私だけならまだしも、ふたりで「いやだいやだ」と言いながら家賃の高いところにいるのが我慢できない。しかも仕事の状況が変わって、こんなに広いところに住む理由がない。そもそも私は広い部屋が嫌いなのだ。ここは永遠に私たちの地とならないであろう。人には合う地合わない地があるのだ。こうなったら一刻も早く出よう。
そんな内容のことを告げ、「スーモ」のサイトを見始めた私を娘は、どこまで本気? みたいなかんじで見ていた。翌日、私がいくつかの候補物件を送ったとき、「このひと本気だ」と思ったようだった。
中目黒のときからお世話になっている不動産屋さんに連絡をし「転居したいのでまた物件探してくださいな」という連絡をしたのが8月5日。はじめての「内覧」に出かけたのは8月9日。その日からいまの部屋に決めるまでいったい何件見たことか。決まったのが9月5日。
いろんな意味で暑すぎる2022年の夏だった。
何度も、自問自答した。
問:私、ばかなのかな? こんなことして、ばか?
答:ばかなのでしょうね。
問:どうしたらばかじゃなかったの?
答:そもそも、大きなマンション、好きになれないかもしれない地域に住まなければよかったということでしょう。
問:でも、そのときは、これでいける、って思った。そして仕事をめぐる状況は変わり、私の気持ちは変わらず、好きになれなかった、ってだめなわけ?
答:だめではないでしょう。ただ、そんなふうに生きていたらいくらあっても足りないわね。
問:好きでもないことにお金を使うのが我慢できなくてストレスでカラダ壊しちゃうかもしれないでしょう? そういうことは理由にはならないわけ?
答:どうだろ。
問:「間違えちゃった」って認めてるよ。私は間違えちゃった。だから間違いを正す、これ、悪いことなの?
答:悪くない。そのようにしかできませんでした。っていつものところに落ち着くだけ。
そう、そのようにしかできなかった。「間違えちゃった」を認識し、そのままでいるのが私には不可能だった。
同居人である娘も反対しなかった、どころか大賛成だったしね。
とはいえ、金銭的にも肉体的疲労を考えても、かなり高額な授業料だったな。
引越し真っ最中のとき、お友達のひとりが送ってくれたメッセージに救われた。
「作家=引越し魔のイメージが強いので、そのイメージ通りに生きてる路子さんが好きです」
えーん。そのイメージ、ありがとう。
あらためて、数えてみた。今回のが人生、何度目の引越しなのかと。11回目。そんなに多くないじゃない。
いまの部屋は、私にとって心地よい広さ狭さで、最上階の5階で私たちの部屋しかないってところがとても気に入っている。
東側と西側にかなり広いルーフバルコニーがある。私はほとんど使っていないけれど、開放感だけは感じている。
電車の音がわりと大きい。それもだんだん慣れてきた。雨が降ればすぐにわかる。外気温も部屋に影響する。風の音もする。ほっとする。
写真はデスク前の風景。
そろそろ、真剣に原稿に取り組まないといけない。ずっと書きたかった本なんだから、集中したい、して、私、お願い……。