◎Tango アルゼンチンタンゴ ブログ「言葉美術館」 私のタンゴライフ
■2023年はじめての記。あふれる言葉とタンゴと居場所と
2023/09/10
昨年は11月に目の病気をして、それですっかり原稿のスケジュールが狂ってしまって、年末年始は新作の原稿に追われていて、先週ようやく原稿を編集者さんに送った。
4月に刊行予定の新作は言葉シリーズに連なるものになる予定だけど、初の男性であり、しかも大物。たやすくなかった。途中、編集者さんに「書けません」と泣きついたくらい。
今回は私なんかにこの人が描けるわけない、との想いに覆われながら、でも、20代の終わりのころからずっと、いつか書きたい、と願っていた人なので、なんとかやりとげたい、という、それだけで走ったような気がする。
大晦日も原稿を書いていた。家族2人が買い出しをしてくれて、夜は原稿から離れて過ごしたけれど、でもそんなのが、原稿まみれの日々が、私は嫌ではなかった。
取り憑かれる、といった感覚の強いのが久々にあったからだと思う。
寝ても覚めても、夢の中でも言葉があふれてくる。彼に寄り添い、ああ、あのときはあんな感覚だったのでは、と思いつけば、近くの紙にそれを書き留める。
私、まだまだこんなふうになれるんだな、ってそれはなんとも言い難い感覚だった。
言葉があふれて止まらない、だなんて。
まだまだ書きたいことがいっぱいある、っていまは思えていて、だからその勢いで次の原稿を書き始めている。こちらは5月刊行予定の原稿。3月中旬に初稿をあげる予定なので、時間はないけれど、イメージがわいてくるから、書けそう。
私の唯一の趣味はタンゴで、ああ、映画もそうだけど、これは仕事とかなり直接的に結びついているから趣味と言い切るのには抵抗があるわけで、まあ、とにかく唯一の趣味であるタンゴの時間は、原稿にまみれながらも週に一回は確保していた。
年末はいろんなところでミロンガというタンゴのダンスパーティーが開催されていた。私はいくつかのところにちょこっと行っただけだけれど、いくつかのところの様子を見ていて、すごく強く感じたことは、誰もが居場所を求めている、ということ。
自分の居場所があるか、それはどんな場なのか。それが私にとっては重要であり、おそらくほかの人たちもみな居場所を求めているという点においては同じなのだろう。
もちろん自分が居心地がよい場所がほかの人にとっては居心地よくないこともあり、その逆もまたある。みんなが居心地がよい場所なんて、ありえないのだから当然か。
基本的には男性が女性を誘う。女性が承諾すれば踊る。
なんて残酷なんだ。
女性からしてみれば誘われなければ踊れないし、男性からしてみればノーと言われれば踊れない。
知り合いが多かったり、国民性もあったりするかもしれないけれど、あからさまにノーをしている人はそう多くはないし、おつきあいで誘っているのだろうな、という人もいる。
全身から「いやだけど、しょうがないか」があふれている人は少なくない。
そんな残酷な場に、人はどうして出かけるのだろう。残酷さを感じていない人は別として、それでもその場に行くのは、それ以上の何かがあるとしか思えない。そしてそれ以上の何か、は人の数だけある。
年が明けてすぐに上野の国立西洋美術館に「ピカソとその時代─ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」に出かけた。
久しぶりに行った美術展は、あれ、いつの間にこんなふうになっていたの、と驚くほどにスマートフォンのシャッター音が響き渡っていた。耳障りといったらない。みな、写真を撮ることに夢中になっている。イヤフォンをして解説に聴き入っている人も多い。
自分の心の動きに耳を澄ます前に解説を聴いてどうするのだろう。お勉強かな。
目の前に絵があるのに、展覧会カタログもあるのに、写真を撮ってどうするのだろう。SNS用かな。倹約からかな。
けれど、そこにどれだけの真実があるのだろう。
胸に響く絵を前にひとりたたずんでいるとき、たしかに、ああ、ここには私の居場所がある、と思う。一冊の本に強烈にのめりこんでいるとき、ああ、ここには私の居場所がある、と思う。
あの美術展はそれが皆無だった。
私が純粋な美術鑑賞ができないということかもしれないけれど、あまりにも「なぜ? どうして?」でいっぱいになってしまって、長い時間、そこにいることができなかった。居心地がよくない、どころではなく、居心地が最高に悪くて逃げ帰ったかんじ。
年末のミロンガ、年始の美術展。
私はこれからも、ああ、ここには私の居場所がある、というところ以外は避けて生きてゆくしかないようです。
*写真は1月3日熱海の来宮神社。甘酒大好き。