◆幸せな愛はどこにもない
2019/12/20
たいせつなお友達のひとり、とても知的な女性が、私のブログの「ジャコメッティのアトリエ」の記事を読んで、とあるシャンソンの歌詞を想った、と教えてくれた。美には傷以外の起源はない。それとどこか似ているような気がするんです、と。
ルイ・アラゴン作詞、ジョルジュ・ブラッサンス作曲、大島博光訳
「Il n'y a pas d'amour heureux 幸せな愛はどこにもない」
5番まであって(こういう数え方でいいのかな?)長いから後半の部分からとくに私の胸にささった部分を。
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生きる道を知ったとき、そのときにはもう手おくれだから わたしたちの心は 夜のなかで 声をそろえて泣くのだ
小さな歌ひとつつくるためにさえ 不幸が要るのだと ひとつの旋律をあがなうためにも悔恨が要るのだと ギターの一節(ひとふし)のためにも すすり泣きが要るのだと 幸せな愛はどこにもない
苦しみのないような愛はどこにもない ひとを傷つけないような愛はどこにもない
ひとの力を奪いとらないような愛はどこにもない・・・・・・
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お友達は、こんなふうに言った。「幸せな愛はない」、つきささる言葉ですが、でも愛がないのではなく、愛はあるってことなんですよね。
この言葉も私の胸にぐっときた。そう、お友達の言うとおり。だからこんなにも悲しいことがたくさんある。
愛っていうのは、ほんとうに、肉親の愛でも 恋愛の愛でも、情愛の愛でも、祖国への愛でも、人類への愛でも、つねに痛みをともなう。
ルイ・アラゴンの詞は私の大切な言葉、美には傷以外の起源はない、これと確かにつながっている。
私はつくづく思う。ブログ記事からこんなに胸をつく詞を教えてくれるひとが、私の近くに存在してくれている幸せを。
そしてこのところよく思うのは、美とか愛とかに感じやすいひとは傷口の痛みをも感じやすいということ。私の周囲にも、この詞を教えてくれたお友達含めて、何人かいて、けれど彼ら彼女たちは、それでも、日々を立ち止まらずに歩いていて、その姿を見せることで、すくなくとも私というひとりの人間を勇気づけてくれている。