◆誰かの喉もとに鼻を埋めて眠りたい
2016/06/21
このところ不眠が続いていて、眠るためにいろんなことをしてみるけれど、うまくいかなくて、翌朝六時前の起床と昼間進めなくてはならない原稿のことを考えると、少しでも長く休みたいと思う。私は睡眠が足りていないことが日常生活に及ぼす影響がとても大きいので、すこし弱っている。
昨夜はサガンの言葉が頭をぐるぐるまわって離れなかった。
「死ぬ、よろしい。けれど地球が爆発し、あるいは永久に破壊されてしまう間、誰かの喉もとに鼻を埋めて死にたい」
4年くらい前『サガンという生き方』を書いていたころは、この言葉に強く共感していた。今でも強く共感する。けれど、ずいぶん遠いところに来ちゃったなあ、とも思う。
最近はこういうことを考えないようにしていて、我慢も溜めこめば、いつのまにか体のなかに吸収され免疫となり、だんだん鈍感になってゆく。それもいいだろうと、というかそれしか方法がない、というふうに考えている、今は、とりあえず。
それなのに、昨夜の感覚、サガンの言葉にぐるぐる巻きあげられて揺さぶられるような感覚は、夕刻帰宅したらポストに届いていた一冊の雑誌のせいなのだろう。
「住まいnet信州」vol.23。
好きな殿方が創っておいでの雑誌だからいつも大切に拝見している。作り手の真摯な姿勢とテーマに対するこだわりがあって、好きな雑誌だ。ラスト、バックナンバーのページで手をとめた。ふいうちにあったみたいになった。私の写真(一冊は家の仕事場の、もう一冊はキッチンにいる後ろ姿)がカヴァーのが二冊掲載されていた。
どんなに、意志の力で努力したって、過去になんかなってくれない。なるはずもない。
先日、年下の女性から、久しぶりにメールをいただいた。孤独でたまらない、どうしたらよいでしょう、電車の中だけど涙が出てくる、誰かとつながっていたくてメールをしました……、という言葉に、湿った共感がこみあげてきた。気のきいた言葉が返せなくてはがゆかった。こんなとき、いつも私は何もできない。ただ彼女の孤独に寄り添うしかない。
もうひとつ、サガンの言葉。
「人間はひとり孤独に生まれてきて、ひとり孤独に死ぬのです。
だからその間はなるべく孤独にならないように努めるのです。」
流れで、かなり昔の話だけれど、好きだった人から言われた言葉を思い出す。小説『女神ミューズ』のなかでも使った。みんな孤独なんだけど、その孤独をなるべく感じないで過ごさないとだめな人っていうのがいるんだ、あなたがそうなのだと、だから自分がずっとそばにいる、と言ってくれた。
そんな言葉からもずいぶん遠いところに来てしまった。
『サガンという生き方』には、胸に迫る言葉が本当に多い。いま、ぱらぱらっとページを繰ってみて、あらためてサガンが好きだ、と思う。
この本の最後には「親愛なる読者たち」に向けたサガンからの問いかけが四つある。その一つ。
「あなたのほんとうの目の色を、ほんとうの髪の色を言ってくれた人はいましたか?」