◆黄昏は孤独人の地獄の入り口
2016/06/21
「たそがれているかんじ」。そんな言葉を使ったら、どういう意味なのかと訊ねられて、私としては「力が抜けていて、すぎゆく時間にたゆたっている、そんなかんじ」的な意味で使っているけれど、辞書的な意味はどうなのだろう、と大好きな新明解国語辞典をひく。
「たそがれ=夕やみ。人生の盛期を大分過ぎた意にも用いられる。普通、『黄昏』と書く。」
先日書いた坂口安吾の全集にも「黄昏」があった。「牧野さんの死」というエッセイ。
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牧野さんは一番たまらないのが黄昏だと言っていたそうだ。夜になればいくらか落ちつくという。それは私も思い当る。ボードレールにもそういう詩があったようだ。
黄昏の狂気のような寂寥は孤独人の最も堪えられぬ地獄の入り口のような気がする。
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孤独人の地獄の入り口……。
いま書いている女性は「孤独」を、というより「物理的に一人きりになること」をとても恐れたひとで、彼女にとって「地獄の入り口」は夜だった。だから夜は眠らずに仲間たちにそばにいることを強いて、朝方、太陽があたりを照らし始めるとようやく眠りについた。
ひとそれぞれ、人生のシーズンごとに、地獄の入り口は変わってくるように思う。変わらないのは孤独という事実だけ。どうしてこんなものを抱えこんで歩き続けなければいけないんだろう! わからないままに、それでも歩き続けるしかない。
写真はクノップフの『青い光』。私はいま夜明けが嫌い。