ブログ「言葉美術館」

◆魂の供養

2016/06/25

_h_藤原新也は肉親が亡くなるたびに四国巡礼の旅に出るという。『なにも願わない 手を合わせる』は、兄の他界後の巡礼の記録だ。 カヴァーのお地蔵さんの写真と、先日ここで紹介した石井一男の女神像は似ている。 死者との関わりについての文章が心に残った。 +++++ 普通人は自らの人生の中で関わった人の死に対し、その終わりを十分に納得し、思い余すことのない平穏な心境に達することはなかなか難しい。 おそらく心のいずこかにおいて残念があり、時にそれは思い煩いとなって自身の中にいつまでも居残ることになる。 つまりそのようなことを私は「死者が成仏できていない」という風に捉える。 そしてそのような自身の中の死者への残念を浄化することこそが死者への供養だと思っているのである。 つまりそれは死者への魂の供養であるとともに自身の魂への供養でもあるわけだ。 +++++ 魂の供養……。 こういう自分自身の心の動きが肝要なのだという考え方が、私は好きだ。なぜなら、そこにはごまかしがなくて信頼できる。成仏できているかいないかなんて、結局は自分と同じ今ここに生きている人間が判断しているのだと思う。 死者の話に限らず、大事件から小事件まで、その件について誰か他の人の判断によって物事を見るのではなく、自分自身の心の動きを見つめること。それを私は大切にしたい。 そこには間違いや浅はかな言葉や自己弁護がたくさんあるかもしれないけれど、信頼はできる。

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