ブログ「言葉美術館」

◆さようならの意味

2016/06/21

Toi_

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さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」。なんという美しいあきらめの表現だろう。

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西洋では神が別れの周辺にいて人々を守っている。たとえば、英語のグッドバイは「神が汝とともにあれ」だし、フランス語のアデュは「神のみもとでの再会を期している」など。それなのに、「この国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬのなら、とあきらめの言葉を口にするのだ」と、そこに美しさを見たのはアン・モロウ・リンドバーグ。

須賀敦子の「遠い朝の本たち」におさめられている「葦の中の声」に、アンの文章はあった。アンの名作「海からの贈物」を私はいろんなところで紹介しているけれども、やはりこのひとの物事に対する感じ方、表現が好きだ、とあらためて感じた。

さようなら。

この言葉を口にするとき私はいつも肌がざわっと冷たくなる。

それでも、「さようなら」が「そうならねばならぬのなら」なのだとしたら、「さようなら」と言うべき場面に、その言葉を言えるかもしれない。そんなふうに思った。

私はさようならを遠ざけてきた。自分のいたらなさでひどく傷つけてしまった人に対してさえ、さようならを言うのを拒んできた。

でも、いつまでもそうしていてはいけない。人生にはきちんとさようならを言わなければならない場面がある。そうしなければ次に踏み出せない、そんな場面も、きっとある。

勇気を出してたくさんの想いをこめてさようならを言ったとき、それはもしかしたら、とてもあたたかな言葉となるかもしれない。

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