◆「神谷美恵子日記」と再会
2017/02/08
久しぶりに愛読書のひとつ、「神谷美恵子日記」を読んだ。
胸の奥深いところが、かきたてられる。彼女の母として妻として表現者として、その他多くの役割のなかで、苦悩している箇所はとくに。
ただ、女というのが欠けているのか、収録されていないだけなのか、アナイス・ニンの日記に私が激しく共鳴する要素がない。
それでもこんなにすごい人が、存在していたんだ、というそのことがとても救いだ。痛々しいくらいに自分を鍛錬したいと願い、そのように生きたひと。
晩年の夫とのあたたかな関係には、うそみたいな理想があった。魂の、真に清らかなひとには、きよらかなひとたちが集まるのかもしれない。もっと希望的観測を加えれば、魂の、真に清らかなひとは、そのひとにふれた周囲のひとたちの魂をも清らかにするのかもしれない。
53歳のときの日記。夫が出張かなにかで留守。二人の息子も成長して、家に一人。
「独りになると人間は内省的になる。
結婚生活はきびしい思索にはあまりよくないのではないか。
いろいろなことをごまかしてしまうのではないか。
淋しさも思索には必要だ」
よくわかる、この感覚。
けれど、日記がこうして作家の死後、公開されていることをもし知ったなら作家本人はどのように感じるのだろう。
公開されることを前提として書いている人もいるけれど、そうでないとしたら、やっぱり嫌だろうな。
でも、たぶん、神谷美恵子は公開されることも意識していたのではないかと思う。とくに晩年は。そんな気がする。
だから、彼女の日記は、まったくの秘密の日記とは違って、たとえば、比べるのもずうずうしいけれど、私のブログのようなものだったのではないか。そのときそのときの心情を書いておきたい、という欲求があり、でも、誰かを激しく傷つけることを恐れれば、そのまま書くわけにはいかず、表現方法が重要になる。そんな書き方をしていたのかもしれない。
私はいま、およそ一年前に削除してしまった、過去のブログの再構築作業を、時間があるときにぽつぽつとしている。
写真があったりなかったり、つぎはぎだけれど、私の肉体がこの世からなくなっても、私が存在していたということ、その思索、苦悩、幸せ、そういうことを残したいという気になったから。それにしても気が遠くなるような作業だけれど。
そして今日は、ほんとうに偶然に、懐かしく愛しい人に再会した。6年ぶりくらいかもしれない。
空は晴れていて、少し暑いくらいの真昼だった。私はその人を信じられない想いで見つめ、何が起こっているのかを認めて、それから何をしたかといえば、泣いてしまった。路上で。封印していた想いが、あふれたのかもしれなかった。まだ夢心地。人生にはこんなドラマティックなことも起きる。
「もういいよね」とその人は言った。私も同じ想いだった。「もう、いいよね」。
思い出の洪水のなかで溺れそう。軽井沢のあの空気。あのグラウンド。星がぱらぱらと落ちてきそうな空。息苦しくなるほどの濃霧。