ブログ「言葉美術館」

◆森栄喜「intimacy」がもたらした刺激

2016/06/21

41twldd9z1l__sy426_bo1204203200__29月の第2土曜日の路子サロンは「写真家とミューズ~森栄喜」がテーマだった。

私と年齢は20以上も離れているのに、妙なほどにいろんな好みが一致するリキさんにサロンにいらしていただき、彼が愛してやまない森栄喜についてお話をしていただいたのだが、これがとても濃い時間だった。

森栄喜の『intimacy』(木村伊兵衛賞を受賞した写真集)に私の『女神 ミューズ』を重ねたとおっしゃったリキさん、そしてリキさんからお借りした『intimacy』に強く胸うたれた私自身、そして、お集まりくださった方々の知性が加わり、私たちは彼らに見守られながら、彼らの反応に新たな発見をしながら濃密な時間を過ごした。

リキさんの話、ほんとうにおもしろかった。好きで好きでしょうがない、と思っているものについて話している姿って、こんなに人をひきつける。そんなことを思う。

話はフランシス・ベーコン(画家のほうのね)から中山可穂、ジャン・コクトーへも飛んで、好みの刺激で胸がちくちくし続けた。

それは、本からも映画からも得られない、会話からしか得られない、ちくちく。

ちくちくの記念に私がその日話した『intimacy』に対する感想を記しておこうと思う。

「リキさんから勧められたのに、何も感じなかったらどうしようという不安があり、なかなか写真集を開けなかった。けれど、いま、この瞬間ならば、というときがあり、それは感覚が鋭敏になっていたある時間だったのだが、思いきって写真集を開いた。

ページをくるうちに涙があふれてきた。最後のページを終えたときは写真集をかかえこむようにして、しばらく動けなかった。

どの写真も、ものすごい技術を駆使してとか、色彩がびっくりしちゃうくらい、とかそういうものではない。

私でも撮れそうと思うようなそんな写真。けれど、すべての写真のなかに森栄喜のまなざしがある。風景……道路とか団地の遠景、すべてが彼の愛情生活の一部になっている。

強烈に誰かに恋しているとき、景色がまるで違って見えるあの感覚、そう、あの奇蹟的な感覚がこの写真集にはぎっしりと詰まっている。

一年間という限られた時間のなかでの二人の生活だからこそ、もちろん、いさかいなどはあるのだろうけれども、絶対的にきらめいている。

このあと二人がどうなっていくかはわからないけれど、ある時期の一年間だからこそ、撮りたい撮りたい撮りたい、と思ってる一年間だからこそ、この濃密さが可能になっている、私はそう思う。

恋愛って苦しいからもう嫌っ、なんて思ったりするけれど、それでも懲りずにまた誰かを好きになってしまったりするっていうのは、こういう時間が恋愛にはあるからなんだなあ、としみじみ思える写真集。

いい写真、悪い写真、そういうのが私にはわからないけれども、すくなくともこの写真集には普遍性があると思った。

普遍性というのは、性別国籍年代すべてを超越して、誰もがもちうるものであり、かつ永遠に色あせない真実のことだと私は思っているけれど、個人的な恋愛関係を、そう、大好きな相手の写真を撮っているだけなのに、これだけ観たものの胸をうつというのは、普遍性があるからにほかならない。

これこそが森栄喜の才能。

私は自分の人生でかなわなかったことを『女神 ミューズ』の主人公に託した。森栄喜は私が小説に託したことを現実にやってみせた。

それをこんなに鮮やかに見せつけられて、私はたしかに感動していたけれど、たしかに痛みも感じていたのだ」

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