ブログ「言葉美術館」

◆50本の薔薇

2016/06/21

2016年の5月2日は、私の50歳の誕生日だった。

一年位前から、ちょっと力んでいて、過去の日々に想いを馳せれば、50歳の誕生日を迎えられるだなんて、そんなふうに言えばみんなそうなんだろうけど、やっぱりひとつの奇跡なのだと思って、なにか自分の存在を刻印できるような、なにかをしたいなあ、なんて思っていたけれど、いざその日が近づいてみれば、当日は、とても静かに過ぎた。

静かで、そして愛情を受けていることを感じられて、満たされた。
大好きなレザネフォールのケーキはおいしかったし、柔らかな色彩の花束も嬉しかった。

思いがけなかったのは、50本の薔薇の贈り物だった。

50本の薔薇の花束ってすごく重くて、薔薇以外になにもない50本の薔薇って、すごく存在感があって、私は、その花束の一本一本をひとつずつ、じーっと眺めて、ときを過ごした。

色は深紅。

誕生日の数日前に、お友達と、私の部屋でなんと休憩なしの8時間! 会話をした。

そのお友達は、私がいまの世界(アバウトに言えば「美」)を知る23歳以前に興味があると言い、私はいくつかのエピソードを思い出して、語ることになった。
そうしたら、やはり、そこには、確かにいまの私につながる私がいて、そのことが発見できたことは驚きだった。

そのお友達は、やっぱりスペシャルな存在なのだろう。
たぶん、私の誕生日なんて意識していなかったのに(知らなかったと思う)、結局、誕生日の二日前に、50年を振り返って眺めるような、そんな時間を創ってくれたのだから。

このところ、私の周りで物事がぐるんぐるんと回転しているような気がする。
いままでしてきたことの、いろんなことがつながって回転しているようなかんじがして、少しこわいくらい。

50歳。
若くはない、当たり前。わかってる。
鏡を見れば、そこには年齢相応な顔が映る。
身体は以前からヘロヘロだから、とくに弱ったとか思わないのが、いいのか悪いのか。
精神は、どうなのかな。
知りたいこと、勉強したいことが山盛りで、感動を求めてかけまわっているところはあまり変わらないけれど。

年齢を気にしないで、年齢から自由になって生きる人が、年齢を感じさせない人なのだという。
実年齢、経験年齢、という考え方もある。
実年齢じゃないよ、経験年齢なんだよ。私もそう思う。

でも私は、年齢を意識し続ける。
これ(だけ)は一貫している。最初からプロフィールに生年を記した。
私はこれだけの年数を生きてきて、そしてこれを書いた、という生き方を選んだ。そしてそれは今も同じ。

いま、欲しいのは、「変化」を受け入れられる力。
力、ってへんかな。
私は変化を受け入れたい。
私自身の変化、私と関係のある人たちの変化を、受け入れて、もう少し、優しくときを過ごしたい。

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